第82話 亀山城を作りましょう!

ガラシャ

前回、茶の湯について教えてもらいました。

憲三郎先生

奥深すぎて全ては触れられませんでしたね。

ガラシャ

今回はつかの間の平穏の後、光秀におこることを教えてください。

憲三郎先生

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

お願いします。

ガラシャ

亀山城!光秀が作ったというお城ですね!

憲三郎先生

そうです。城に先駆けてまずは惣堀を普請します。

ガラシャ

惣堀ってどんな堀ですか?

憲三郎先生

惣堀というのは城のほか城下町一帯も含めて外周を堀や石垣、土塁で囲い込んだ総構えの堀のことを呼びます。

ガラシャ

すでに大工事ですね。でもどうして亀山城を作ったのですか?

憲三郎先生

丹波攻めの拠点として、そして後に丹波国の運営拠点としてふさわしい城になるように作られたのではないかと言われています。

ガラシャ

それだけ立派な造りだったのですね。

憲三郎先生

当時、丹波国で惣堀のある城は亀山城だけだったようです。

ガラシャ

光秀が亀山城を作っている頃、織田軍ではどんな動きがあったのですか?

憲三郎先生

2月3日に磯野員昌が織田信長の意向に違い譴責したところ逃亡してしまった為、磯野員昌の領地は織田信澄に与えられました。

ガラシャ

逃げちゃったのですか・・・。

憲三郎先生

2月9日に磯谷久次が吉野の山の山中に隠れているのを発見されたということで首が安土城に届きました。

憲三郎先生

そうです、降参して砦より退去してから行方がわからなかったのですが、見つけた者に成敗されてしまったようです。

ガラシャ

降参した者を積極的に追うのは織田信長のイメージにないのですが、忖度ということですか?

憲三郎先生

この史料からはわかりませんが、成敗した吉野の地の者は、褒美として黄金を賜ったようです。

ガラシャ

特に追っていたというわけではなくても、こういう結末もあるということですか・・・。

憲三郎先生

そうこうしているうちにまた事件が起こります。

ガラシャ

え!?

憲三郎先生

2月23日に別所長治が叛意を示し、三木城に立て籠もりました。

憲三郎先生

そうです。別所氏は播磨の国衆の中でも上洛の頃から織田信長と協力関係にあった一族です。

ガラシャ

こないだ羽柴秀吉が平定したばかりなのにどうしてですか?

憲三郎先生

毛利氏のもとにいる足利義昭から離反工作を受けていたなどいろいろな説があるようです。

ガラシャ
憲三郎先生

いいえ、ひとまず羽柴秀吉が対応していたようです。

ガラシャ

ひとまずというのは含みがありそうですが・・・そういえば織田信長はどうしていたのですか?

憲三郎先生

2月29日に織田信長は安土城にて相撲を観覧しました。

ガラシャ

相撲!?そういえば相撲って国技なのは知っていますがいつから日本にあったのですか?

憲三郎先生

日本における相撲の記録の最古は『古事記』だそうですよ。

ガラシャ

『古事記』!?あの日本神話の?なるほど国技になるわけですね・・・。

ガラシャ

亀山城の普請の為ですね。

憲三郎先生

3月6日に織田信長は鷹狩りのために奥の島山へ行きました。3日間鷹狩りをし、8日に安土に帰城しました。

ガラシャ

なんだか平和そうですね。

ガラシャ

もしかして、光秀の嫡男光慶の連歌デビューですか?

憲三郎先生

史料で初めて名前が登場したのもこの時です。

ガラシャ

この時光慶は何歳ですか?

憲三郎先生

天正10年の時に13歳なので、逆算すると9歳です。

ガラシャ

小学校3~4年生くらいですね。連歌会大丈夫でしょうか?

憲三郎先生

しっかり教わっていたのでしょうから、問題なく参加できたのではないかと思われます。

ガラシャ

想像ですが、光秀の教育はとっても厳しそうです・・。

憲三郎先生

この頃丹波ではなにかが起きていたようです。

ガラシャ

なにかとは、どんな史料があるのですか?

ガラシャ

小畠左馬進になにがあったのでしょうか?それとも亀山城に?

憲三郎先生

この史料からはわかりません。

ガラシャ

なんだか、とても心配ですね。ところでどこに出陣するのですか?

憲三郎先生

石川本願寺と丹波を攻める為の出陣です。

ガラシャ

ついに、ですね・・・。

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”亀山城は丹波の中でも立派なお城になりそうです。
そしてまた大坂へ出陣です。”