第146話 坂本城が燃えた日

ガラシャ

天正10年6月15日というと、光秀が討死してからもう2日が経とうとしています。

憲三郎先生

そうですね、この頃から詳しい情報が京都や大和にも入ってきたようで史料がいくつか残っています。

ガラシャ

どんな史料ですか?

憲三郎先生

光秀の討たれた場所や安土城・坂本城の炎上のことなどですね。

ガラシャ

坂本城も燃えたのですか!?詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

憲三郎先生

最初の史料は、光秀が討たれた事について、山科言経の言経卿記です。

ガラシャ

はい。

ガラシャ

この史料では醍醐で一揆に討たれたとなっているのですね。

憲三郎先生

そうですね。

ガラシャ

農民と一揆とだとちょっと印象が違いますね。

憲三郎先生

兼見卿記には坂本城の炎上についての記載があります。

ガラシャ

教えてください。

ガラシャ

吉田兼見の元にも情報が届きはじめたのですね。安土の町も焼けてしまったのですか?

憲三郎先生

安土城が町の火事の類火で燃えたという話がありますが、近年の安土城発掘調査の結果、町は燃えてないという話もありました。

ガラシャ

今でも新しい事実が出てきているのは頼もしいです。他にはどんなことがあったのでしょう?

ガラシャ

津田越前入道の件でしょうか。吉田兼冶って誰ですか?

憲三郎先生

吉田兼冶は吉田兼見の息子です。

ガラシャ

息子を使者として派遣したのですね。他にはどんな情報が入ってきたのですか?

ガラシャ

吉田兼見も光秀は醍醐で一揆に討ち取られたと聞いたのですね。村井清三って誰ですか?

憲三郎先生

村井清三は村井貞勝の家臣です。

ガラシャ
憲三郎先生

明智秀満の最後についてはフロイスの「日本史」を見てみましょう。

ガラシャ

はい。

ガラシャ

子供達もですか・・・。

憲三郎先生

荒木村重の前例がありますから、ちゃんと逃がす術がないと捕らえられて処刑されてしまうでしょうね。

ガラシャ

・・・。光秀の子供達も一緒だったのでしょうか?

ガラシャ

143話でももしかしたら逃げた人の内の誰かが、祖先なのかもしれないといっていましたね。もしかしてこの時に伝承品も?

憲三郎先生

史料からはわかりませんが、もしかしたらそうかもしれませんね。

ガラシャ

光秀の首は本能寺に届けられたのですよね?

ガラシャ

光秀は首だけでなく体も一緒に運ばれていたのですね・・・。勧修寺家領ってどの辺りなのですか?

憲三郎先生

勧修寺家領は山科・醍醐の辺りです。

ガラシャ

場所は大体同じ辺りなのですね。百姓が届け出た・・・討ち取ったではないのですね。

憲三郎先生

そうですね。今までの史料で討ち取ったと記されているのは一揆と農夫です。

ガラシャ

明智光秀が討ち取られたのに討った人が明確に伝わっていないのは不思議ですね。

憲三郎先生

小栗栖で討ち取られたという説もありますが、明確な史料はありません。

ガラシャ

大和にも情報が入っていたのですか?

憲三郎先生

大和の多聞院門跡である英俊の残した「多聞院日記」を見てみましょう。

ガラシャ

はい。

ガラシャ

ほとんどの人が坂本に帰れなかったのですね・・・。

ガラシャ

なるほど、羽柴秀吉が攻めてきていたから坂本城に火をかけて切腹したのですね。

憲三郎先生

そのようですね。

ガラシャ

大和といえば、筒井順慶が京都に呼ばれていましたよね?

憲三郎先生

そうです。

ガラシャ

・・・え?羽柴秀吉は戦の日をずらして知らせたのに良くない行動だったといっているのですか?

憲三郎先生

この史料では筒井順慶のどの行動を指しているかはわかりません。ただ、筒井順慶の立場があまり良くなさそうなのは確かだと思われます。

ガラシャ

なんだか納得いかないですね・・・。

憲三郎先生

この頃、徳川家康が侵略を進めていた甲斐国でも動きがあります。

ガラシャ

どんな動きですか?

ガラシャ

相模の北条氏政が甲斐へ人を派遣して工作?物を作る工作とは違いますよね?

憲三郎先生

この場合の工作は「ある目的の達成のため,あらかじめ関係者に働きかけを行うこと」だと思われます。

ガラシャ

なんだかこちらも穏やかじゃ無さそうです・・・。徳川家康は上洛の為に出陣していましたがどうしていたのですか?

ガラシャ

ここで光秀の討死を知ったのですね。ということは撤退でしょうか?

憲三郎先生

徳川軍はこのまま進軍します。

ガラシャ

え!? 

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”坂本城は落城し、光秀の子は見つかりませんでした。
徳川軍は進軍を続けます。”