第72話 光秀ピンチ!?丹波黒井城攻めがまさかの大敗

ガラシャ

前回まで丹波・丹後攻めはとても順調そうに見えましたが、光秀が敗戦ってどういうことですか?

憲三郎先生

そうですね、天正3年11月24日に黒井城を包囲していた時までは、とても順調だったように見えます。

ガラシャ

光秀の身にいったい何があったのでしょう?

憲三郎先生

史料を見てみましょう。

ガラシャ

はい!

ガラシャ

山科言継も吉田兼見も同じ日に同じ知らせを受け取っているのですね。

憲三郎先生

情報の早さと正確さがうかがえますね。

ガラシャ

波多野さんって何度か聞いたことがあるような気がするのですが・・・。

憲三郎先生

永禄13年に光秀がしんがりを務めたときに波多野氏が登場しました。今回の波多野秀治は八上城の城主です。

ガラシャ

波多野秀治とはどういう関係なのですか?

憲三郎先生

史料からはわかりませんが、おそらく同じ一族の誰かだと思われます。

ガラシャ

波多野秀治はどうして裏切ったのですか?

憲三郎先生

史料からはわかりません。ですが、黒井城城主の荻野直正と波多野元秀の娘は婚姻関係があったようなので、もしかしたらそこになにか理由があるのかも知れません。

ガラシャ

波多野元秀は誰ですか?

憲三郎先生

波多野元秀は波多野秀治の父です。

ガラシャ

ということは荻野直正と波多野元秀は義理の兄弟ということですか?

憲三郎先生

そのとおりです。

ガラシャ

光秀は大敗ということですが無事なのでしょうか?

憲三郎先生
ガラシャ

どんなお手紙を出したのですか?

憲三郎先生

まだまだ解析が必要なのですが、「明智光秀が小畠左馬進に、林某との軍事的連携や本拠地の維持を命じる」というような内容です。

ガラシャ

なるほど、ひとまずはお手紙が書ける程度には無事な様子で何よりです。

憲三郎先生

この日に織田信澄は、光秀赴援のために近江高嶋郡より上洛しました。

ガラシャ

赴援とは、行って助けること。助けに行くこと。・・・援軍ですね!

憲三郎先生

史料はありませんが、おそらく織田信長へも知らせが入り援軍を出してくれたのだと思われます。

ガラシャ

織田信澄はたしか織田信長の甥でしたよね。ありがたいです。

ガラシャ

無事に帰ってきてくれて良かったです。

ガラシャ

英俊は多聞院主でしたよね、さすが情報が早いです。大坂って誰か戦っていましたか?

憲三郎先生

この史料からはわかりません。大坂といえば石山本願寺なので関係があるのかも知れません。

ガラシャ

なんだか史料がまた少なくなってきたような気がします。

ガラシャ

劣勢の中でも味方でいてくれるのは本当にありがたいです。

ガラシャ

荒木藤内って誰ですか?

憲三郎先生

丹波の国衆の一人です。

ガラシャ

この状況でも織田方にと思ってもらえるのはすごいことですね。

憲三郎先生

それだけ織田信長の勢力は大きくなっていたということでしょうね。

ガラシャ

高山次右衛門は誰ですか?

憲三郎先生

光秀の家臣です。高山次右衛門も後まで重臣として名を連ねる人です。

ガラシャ

大事な人です!

ガラシャ

吉田兼見とは変わらず行き来があって、なんだか安心します。そして光秀はまた丹波に出発ですね。

ガラシャ

曾根村と氷上表はどのあたりですか?

憲三郎先生

曾根村は京都府船井郡京丹波市のあたり、氷上表とは兵庫県丹波市氷上町のあたりことです。

ガラシャ

ということは丹波の内政ですね。

憲三郎先生

そんな中、2月23日に織田信長は安土城に移りました。

ガラシャ

安土城!いつの間に作っていたのですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります。

”波多野秀治が敵対したため黒城攻めは大敗でしたが光秀は無事でした。そして再び丹波へ”