第73話 番外編 織田信長の安土城と京都の屋敷

ガラシャ

光秀が再び丹波に行った後、織田信長は安土城にお引っ越ししたのですか?

憲三郎先生

そうです。天正4年2月23日に織田信長は安土城に移りました。

ガラシャ

いつの間に安土城を作っていたのですか?

憲三郎先生

史料によると、1月の中旬には丹羽長秀に命じて作り始めていたようです。

ガラシャ

まさに光秀大敗のニュースが飛び交っていた頃ですね。・・・ということは約一ヶ月でお城ができてしまったのですか!?

憲三郎先生

その後も普請が続いたようなので、まず居を移す為の城を作ったのかもしれませんね。

ガラシャ

安土城って今はどうなっているのですか?

憲三郎先生

今は滋賀県近江八幡市安土町に、城跡が残っています。

ガラシャ

地図を見てみると近くに武井夕庵や羽柴秀吉、前田利家の屋敷と伝わっている場所があるのですね。

憲三郎先生

史料には、馬廻衆に山下に屋敷地を与えた事が残っているので、重臣も屋敷地を賜っていたのかも知れませんね。

ガラシャ

光秀は・・・この距離だとすぐお家に帰れてしまいますね。

憲三郎先生

安土城と坂本城の距離は30Kmほどですから、舟であれば当時でもすぐだったのではないかと思われます。

ガラシャ

ご近所になりましたね。光秀はその後どうしていたのですか?

憲三郎先生

次に史料に登場するのは3月28日です。

ガラシャ

史料が少なくなってきましたね。

ガラシャ

山科言経って山科言継の関係者ですか?

憲三郎先生

山科言継の息子です。

ガラシャ

もしかして山科言経も日記を書いていたりするのですか?

憲三郎先生

そうです。「言経卿記」という史料が今も残っています。

ガラシャ

二条晴良って誰ですか?

憲三郎先生

二条晴良は公卿です。藤原氏の氏長で二条家第14代目当主です。この時は関白でした。

憲三郎先生

足利義昭の上洛後、永禄11年に近衛前久は足利義昭によって追放されておりその後二条晴良が再び関白に任命されました。

ガラシャ

気づかないうちに役職が変わっていたのですね。ところで光秀が普請奉行になるのは久しぶりですね。

憲三郎先生

そうですね、坂本城は光秀の城なので、宇佐山城以来かも知れません。

ガラシャ

報恩寺ってどこですか?

憲三郎先生

報恩寺は、今も京都府京都市上京区小川町にあります。

ガラシャ

京都御所のすぐ近くですね。

憲三郎先生

織田信長は、二条晴良の屋敷跡地に邸宅を建てます。

ガラシャ

元々の二条晴良の屋敷はどこにあったのですか?

憲三郎先生

京都府京都市中央区にあったようです。

ガラシャ

織田信長が京都に滞在するときのお屋敷ということですね。

憲三郎先生

そして、織田信長は奉行に命じました。

ガラシャ

京都のことは村井貞勝に任せておけば心配ないですね。

憲三郎先生

4月1日に、安土山の大石で城の敷地内に石垣を作り始めます。

ガラシャ

まだ、これから作っていくところもあるのですね。

憲三郎先生

石垣や天主などを築いたようです。

ガラシャ

やはり大工事だったのですか?

憲三郎先生

史料には、尾張・美濃・伊勢・三河・越前・若狭・畿内の諸侍および、京都・奈良・堺の大工や職人を招集したと残っています。

ガラシャ

たくさんの人が関わっていたのですね。

憲三郎先生

色々な山から大石を引き下ろし安土山にあげたそうです。

ガラシャ

今みたいに重機が無い時代に、どうやって運んだのですか?

憲三郎先生

何千人がかりで引き上げたそうです。

ガラシャ

すごすぎて想像が追いつきませんが・・・人の力は合わさるとすごいですね。

憲三郎先生

そうですね。

ガラシャ

二条晴良宅の普請が終わったら光秀はまた丹波ですか?

憲三郎先生

普請が終わったタイミングがわかりませんが、光秀が次に登場する史料は4月13日です。

ガラシャ

どんな史料ですか?

ガラシャ

矢野弥三郎って誰ですか?

憲三郎先生

矢野弥三郎は丹波の武将の一人だと言われていますが、詳しいことはわかっていません。

ガラシャ

キーパーソンな気がするのですが・・・史料が少ないのが恨めしいです。

憲三郎先生

そうこうしている折に、石山本願寺が挙兵します。

ガラシャ

え!?

ガラシャ

急展開です。

ガラシャ

14日の光秀はとにかく忙しかったでしょうね・・・。どんな戦いになるのですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”天正4年の年頭は建築ラッシュでした。
そして石山本願寺との戦いが始まりそうです。”