第147話 進軍する徳川軍

ガラシャ

徳川軍は、なんで進軍しているのでしたっけ?

ガラシャ
憲三郎先生

羽柴秀吉に帰陣せよと言われるまで進軍し続けます。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

ガラシャ

吉田兼見は京都に住んで居るのに情報の到達がゆっくりのような気がしますね・・・。

憲三郎先生

史料からは理由はわかりませんが、そのようにも感じられますね。

ガラシャ

徳川軍は鳴海まで来ていたのですよね?そういえば鳴海ってどこですか?

憲三郎先生

鳴海は今の愛知県名古屋市鳴海町の辺りです。

ガラシャ

このあとはどうするのですか?

ガラシャ

津嶋はどの辺りですか?

憲三郎先生

津嶋は今の愛知県津島市の辺りではないかと思われます。津嶋は昔から港町として栄えていました。

ガラシャ

栄えていた港町だったのですね。

憲三郎先生

津嶋の港から得られる税金は織田信長の父の織田信秀の大きな財源となり、織田信秀の勢力拡大の礎になりました。もちろん、織田信長はそれを引き継いだわけです。

ガラシャ

徳川軍は織田信長の弔いに出陣していたのですよね?光秀は討ち取られたのに津嶋になにをしに行くのですか?

憲三郎先生

気になりますか?

ガラシャ

だって、大将がとられたらもう弔い合戦はおしまいですよね?理由がみあたらないのですが・・・。

憲三郎先生

実は私も気になっているのです。史料からは確かな事はわかりませんが、可能性としては光秀軍の残党狩りか、もしくは救済なのではないかと考えています。

ガラシャ

独断ということは無いでしょうから、松平家忠は進軍を命じられたのですよね?誰から命じられたのですか?

憲三郎先生

松平家忠の直属の上司は酒井忠次です。酒井忠次の独断というのも考えづらいので酒井忠次は徳川家康から進軍を命じられたのだと思われます。

ガラシャ

残党狩りといっても、もう京都では光秀を討ち取った軍勢がきっと行なっていますよね?ということは救済でしょうか?

憲三郎先生

もっと史料が出てくれば進軍を続けた理由がわかるかも知れませんね。

ガラシャ

とっても気になるので、史料が出てくるのを祈ります。

ガラシャ

どんな報告ですか?

憲三郎先生

安土は光秀の子の自然が立て籠もっている。などのことを報告したようです。

ガラシャ

光秀に自然という名の子供がいたのですか?

憲三郎先生

史料がほぼないのであまり詳しいことはわかりません。ただ、連歌会に光秀と一緒に参加した自然丸と言う人物の記録が多数残っています。

ガラシャ

たしかに見たことがあるような気がします!

憲三郎先生

連歌の記録を年代順に追っていくと、自然は光秀の嫡男である明智光慶の童名だったのではないかと思われます。

ガラシャ

やはり、女性や子供に関する史料はほぼ見つかっていないのですね・・・。そういえば進軍していた徳川軍は津嶋についたのでしょうか?

ガラシャ

酒井忠次の手勢?徳川家康はどうしていたのですか?

憲三郎先生

18日にまた展開がありますが、次回にお話ししましょう。まだ17日には光秀に関する史料があります。

ガラシャ

教えてください。

ガラシャ

え!?斎藤利三・・・。車沙汰?討ち取られるのではなく処刑されたのですか?

憲三郎先生

この時の史料が多く残っているので見てみましょう。

ガラシャ

お願いします。

ガラシャ

堅田・・・。

ガラシャ

生け捕り?

ガラシャ

・・・。

ガラシャ

堅田といえば確か交通の要所の所ですよね?

憲三郎先生

そうですね。もしかしたら堅田を抑える役目を担っていたのかもしれません。

ガラシャ

でもどうして生け捕りになってしまったのですか?

憲三郎先生

それは、味方の裏切りによるものだと言われています。

ガラシャ

え!?どういうことですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”徳川軍は進軍を続け、斎藤利三が処刑されました。”