第147話 進軍する徳川軍

徳川軍は、なんで進軍しているのでしたっけ?

光秀が討死したと正式に知らせを受けたのにまだ進軍し続けるのですか?

羽柴秀吉に帰陣せよと言われるまで進軍し続けます。

詳しく教えてください。

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

よろしくお願いします。

吉田兼見は京都に住んで居るのに情報の到達がゆっくりのような気がしますね・・・。

史料からは理由はわかりませんが、そのようにも感じられますね。

徳川軍は鳴海まで来ていたのですよね?そういえば鳴海ってどこですか?

鳴海は今の愛知県名古屋市鳴海町の辺りです。

このあとはどうするのですか?

津嶋はどの辺りですか?

津嶋は今の愛知県津島市の辺りではないかと思われます。津嶋は昔から港町として栄えていました。

栄えていた港町だったのですね。

津嶋の港から得られる税金は織田信長の父の織田信秀の大きな財源となり、織田信秀の勢力拡大の礎になりました。もちろん、織田信長はそれを引き継いだわけです。

徳川軍は織田信長の弔いに出陣していたのですよね?光秀は討ち取られたのに津嶋になにをしに行くのですか?

気になりますか?

だって、大将がとられたらもう弔い合戦はおしまいですよね?理由がみあたらないのですが・・・。

実は私も気になっているのです。史料からは確かな事はわかりませんが、可能性としては光秀軍の残党狩りか、もしくは救済なのではないかと考えています。

独断ということは無いでしょうから、松平家忠は進軍を命じられたのですよね?誰から命じられたのですか?

松平家忠の直属の上司は酒井忠次です。酒井忠次の独断というのも考えづらいので酒井忠次は徳川家康から進軍を命じられたのだと思われます。

残党狩りといっても、もう京都では光秀を討ち取った軍勢がきっと行なっていますよね?ということは救済でしょうか?

もっと史料が出てくれば進軍を続けた理由がわかるかも知れませんね。

とっても気になるので、史料が出てくるのを祈ります。

どんな報告ですか?

安土は光秀の子の自然が立て籠もっている。などのことを報告したようです。

光秀に自然という名の子供がいたのですか?

史料がほぼないのであまり詳しいことはわかりません。ただ、連歌会に光秀と一緒に参加した自然丸と言う人物の記録が多数残っています。

たしかに見たことがあるような気がします!

連歌の記録を年代順に追っていくと、自然は光秀の嫡男である明智光慶の童名だったのではないかと思われます。

やはり、女性や子供に関する史料はほぼ見つかっていないのですね・・・。そういえば進軍していた徳川軍は津嶋についたのでしょうか?


酒井忠次の手勢?徳川家康はどうしていたのですか?

18日にまた展開がありますが、次回にお話ししましょう。まだ17日には光秀に関する史料があります。

教えてください。

え!?斎藤利三・・・。車沙汰?討ち取られるのではなく処刑されたのですか?

この時の史料が多く残っているので見てみましょう。

お願いします。

堅田・・・。

生け捕り?

・・・。

堅田といえば確か交通の要所の所ですよね?

そうですね。もしかしたら堅田を抑える役目を担っていたのかもしれません。

でもどうして生け捕りになってしまったのですか?

それは、味方の裏切りによるものだと言われています。

え!?どういうことですか?

続きは次回です。

気になります!
