第144話 光秀が居なくなった後の徳川家康

憲三郎先生

そうですね、甲斐国を順調に手中におさめていました。

ガラシャ

光秀が討死してしまって立ち回りに困っているのではないですか?

憲三郎先生

光秀の首が本能寺に運ばれた日の徳川家康に関する資料を見てみますか?

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、天正10年6月14日の徳川に関する史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

ガラシャ

弔いのため?・・・というかまだ光秀の討死の知らせは行っていないのでしょうか?

憲三郎先生

徳川家康が情報を得ていなかったとは考えにくいですが、史料からは確か事はわかりません。

憲三郎先生

それについてはもっと史料が出てこないと検証が難しいですね。

ガラシャ

徳川家康はついに光秀に敵対することにしたのでしょうか?

憲三郎先生

可能性としては、体裁を整えた上での敵対・援軍・敗退した光秀軍への支援が考えられますが、まだ断言はできませんね。

ガラシャ

鳴海には徳川家康は入ったのですか?徳川軍が入ったのですか?

ガラシャ

その他にはどんな史料が残っているのですか?

ガラシャ

伊賀者が鳴海で、ですか?

憲三郎先生

伊賀越えをした後も交流があったことがうかがえますね。

ガラシャ

徳川家康はこのあとどうするのですか?

ガラシャ
憲三郎先生

日根野弘就は美濃本田城主です。そして、本多忠勝は、今尾城主の高木権右衛門へ徳川家康が京都へ攻め上る意思がある旨を通知しました。

ガラシャ

美濃の各武将に協力を求めていたのですね。

憲三郎先生

ちなみに、この史料では光秀討ちとは記されていません。

ガラシャ

それって、もう光秀が居ない京都からすると誤解されたりしませんか?この後はどうなるのですか?

憲三郎先生

徳川軍は進軍し光秀が討ち取られた事を知らされます。

ガラシャ

その後の動向が気になりますね。

憲三郎先生

気になる所ですが、まだ徳川家康に関連する史料がありますよ。

ガラシャ

どんな史料ですか?

ガラシャ

え!? 何があったのですか?

憲三郎先生

史料からは詳しいことはわかりません。

憲三郎先生

もしかしたらその何かが露呈してしまったのかもしれませんね。

ガラシャ

他にも史料があればと思うともやもやしますね。

憲三郎先生

もっと史料が発見されることを祈りましょう。

ガラシャ

それにしても色々なことが起こる日ですね。

憲三郎先生

そうですね、この日は吉田兼見の元にも不思議な訪問者が現れます。

ガラシャ

訪問者ですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”徳川家康はまだ光秀が討死したことを知りません。”