第144話 光秀が居なくなった後の徳川家康

そうですね、甲斐国を順調に手中におさめていました。

光秀が討死してしまって立ち回りに困っているのではないですか?

光秀の首が本能寺に運ばれた日の徳川家康に関する資料を見てみますか?

詳しく教えてください。

では、天正10年6月14日の徳川に関する史料を順に見ていきましょう。

よろしくお願いします。

弔いのため?・・・というかまだ光秀の討死の知らせは行っていないのでしょうか?

徳川家康が情報を得ていなかったとは考えにくいですが、史料からは確か事はわかりません。

それについてはもっと史料が出てこないと検証が難しいですね。

徳川家康はついに光秀に敵対することにしたのでしょうか?

可能性としては、体裁を整えた上での敵対・援軍・敗退した光秀軍への支援が考えられますが、まだ断言はできませんね。

鳴海には徳川家康は入ったのですか?徳川軍が入ったのですか?

その他にはどんな史料が残っているのですか?

伊賀者が鳴海で、ですか?

伊賀越えをした後も交流があったことがうかがえますね。

徳川家康はこのあとどうするのですか?

金森長近は名前を見た記憶がありますが、日根野弘就は誰ですか?

日根野弘就は美濃本田城主です。そして、本多忠勝は、今尾城主の高木権右衛門へ徳川家康が京都へ攻め上る意思がある旨を通知しました。

美濃の各武将に協力を求めていたのですね。

ちなみに、この史料では光秀討ちとは記されていません。

それって、もう光秀が居ない京都からすると誤解されたりしませんか?この後はどうなるのですか?

徳川軍は進軍し光秀が討ち取られた事を知らされます。

その後の動向が気になりますね。

気になる所ですが、まだ徳川家康に関連する史料がありますよ。

どんな史料ですか?

え!? 何があったのですか?

史料からは詳しいことはわかりません。

もしかしたらその何かが露呈してしまったのかもしれませんね。

他にも史料があればと思うともやもやしますね。

もっと史料が発見されることを祈りましょう。

それにしても色々なことが起こる日ですね。

そうですね、この日は吉田兼見の元にも不思議な訪問者が現れます。

訪問者ですか?

続きは次回です。

気になります!
