第145話 不思議な訪問者

前回、吉田兼見の元にも不思議な訪問者が現れたって聞きましたが、どんなことがあったのですか?

この事件が吉田兼見をはじめとする公家の史料隠滅の原因となったのではないかと思えるような出来事です。

そうです。もしかしたら他にも消されてしまった史料があったのかもしれません。

他にも、ですか?

公家の山科言教の日記「言教卿記」には5日から12日までの記録が欠けていること、公家の勧修寺晴豊の日記の「晴豊記」も天正十年夏の日記が別物の「日々記」として現代に伝わり、近年の研究で晴豊の日記の一部と認められています。いずれも、日記の筆者自身が隠したものと思われています。

原因となったかも知れない事件について詳しく教えてください。

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

よろしくお願いします。

退散?まだ討ち取られた事は知らないのですか?

吉田兼見はこの翌日15日に知ることになります。

噂の訪問者というのは誰なのですか?

この日に津田越前入道が吉田兼見を訪問しました。

津田越前入道?誰ですか?

実はこの人物、詳しくはわかっていません。しかし、津田家は織田家の庶流に当たる家なので織田家の関係者だと思われます。

織田家と関係が深い津田越前入道はなにをしに来たのですか?

この度光秀が吉田兼見邸に到来し、禁裏と京都五山へ銀子配分した件が織田側で執沙汰され曲事とされているので織田信孝の御使として糺明のために到来したということでした。

執沙汰され曲事?糺明のため?どういうことですか?

「執沙汰」とは話題のぼっているという事で、「曲事」とは「曲者」の事バージョンと思えばよく、怪しげな事、けしからん事で、「糺明」とは真相を明らかにすると言うことです。

ということは・・・?

光秀と朝廷が吉田兼見を通して懇意にしていた事が話題になっており、けしからんと言われているので真相を明らかにしにきました。ということですね。

え!?吉田兼見も朝廷も立場が悪くなっちゃうのではないですか?

そうですね。

吉田兼見はどうするのですか?

吉田兼見は、禁裏へ参内し誠仁親王と対面し、親王へ詳細を上奏しました。

上司に報告相談は大事ですね!

誠仁親王は、織田信孝陣所へ御使を派遣しました。

迅速な対応です。

施薬院全宗に相談したところ羽柴秀吉へ早速事情を申し入れるべきであるとのことでした。

そうです。この史料からはわかりませんが相談役のような立ち位置だったのかもしれませんね。

なるほど、相談した結果が羽柴秀吉に事情を話しにいこう。ということですね。誰が行ったのですか?

施薬院全宗使者と吉田兼見使者を、桑原貞也のもとへ派遣しました。

羽柴秀吉ではなく桑原貞也ですか?

桑原貞也は羽柴秀吉の家臣です。ちなみに、のちに京都の奉行を任されるほど信頼されていた家臣です。

なるほど、朝廷との窓口のような人だったのですね。

吉田兼見は、使者より桑原貞也の返事を受けました。

お返事、どきどきしますね・・・。

その内容とは、津田越前入道は織田信孝が派遣したのではない。というものでした。

え!?どういうことですか?

織田信孝へ問い合わせたところ、津田越前入道の件は御存知無きことで、津田越前入道に問責の使者を派遣したところ、この朝より外出し行方不明とのこと。

津田越前入道という人は確かに存在したのですね・・・。
でも織田側の指示じゃないということは、なんで津田越前入道はそんなことを言いに来たのでしょう?

史料から確かな事はわかりません。もしかしたら吉田兼見からなにか巻き上げようとしたのかもしれませんね。

なんだか振込め詐欺みたいですね・・・。でも行方不明ってまた津田越前入道が来たらどうしましょう?

もし再度津田越前入道が到来した場合には留めて織田側に注進すべきという存分を受けて吉田兼見は安堵しました。

織田側のフォローが手厚いですね。ただ、こうなってくると光秀と親しくしていたことが露呈するとますます困ってしまいそうですね。

そうですね。この出来事が、兼見郷記を初めとした公家の記録の書き換えの原因になったのかもしれませんね。

無かったことにしてしまいたい気持ちもわかりますね・・・。この後の京都はどうなっていくのですか?

翌日になると、光秀の訃報が知らされ坂本城が炎上します。

え!?

続きは次回です。

気になります!
