第150話 惟任退治記と土岐氏のその後

ガラシャ

織田信長も光秀も居なくなって世の中はどう動いていくのですか?

憲三郎先生

羽柴秀吉が天下の実権を握るべく行動していきます。

ガラシャ

そういえば織田信長の葬儀を執り行うといっていましたよね。

憲三郎先生

そうですね、その他にも各所に書状を送っています。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、今回は羽柴秀吉の史料を中心に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

ガラシャ

え?本能寺の変での一連の出来事に細川藤孝と細川忠興って出てきましたか?

ガラシャ

山崎の合戦に参戦もしてなかったですよね?なのに「比類無き覚悟」で身の上の保障ですか?

憲三郎先生

この史料からは詳しいことはわかりませんが、羽柴秀吉にとって何らかの有益なことがあったのは明らかですね。

ガラシャ

気になりますね・・・。他にはどんな書状があるのですか?

ガラシャ

松井康之って細川藤孝の家臣ですよね?名指しで報償ということはそれだけの功績を残したのですか?

憲三郎先生

史料からは功績について詳しいことはわかりません。ただ、三分の一という大きな報償も直接命じられているのもいささか気になりますね。

憲三郎先生

もっと史料がでてくれば細川家の功績も松井康之の功績もわかるかも知れませんね。

ガラシャ

史料が発見されることを祈ります。

憲三郎先生

次の史料を見てみましょう。

ガラシャ

はい。

ガラシャ

鍋島直茂って誰ですか?

憲三郎先生

鍋島直茂は肥前の国(現在の佐賀県と長崎県)の武将です。

ガラシャ

またずいぶん遠い国の武将ですね。

憲三郎先生

京都から見ると遠く感じますが、羽柴秀吉は毛利氏との戦いで毛利領まで攻め入っているので遠い国というほどでも無いのかも知れません。

ガラシャ

南蛮帽子をプレゼントしてくれたということは親交もあったのですね。

憲三郎先生

後に豊臣姓が下賜されるほど重用されたようです。

ガラシャ

羽柴秀吉は9日に上洛して近日中に姫路に戻りその後は何をするのですか?

ガラシャ

光秀が治めていた領地に視察でしょうか。光秀の家臣は全員が処刑されてしまったというわけではないのですよね?

ガラシャ

もしかしたら今後の作戦会議でもしていたのかもしれませんね。

ガラシャ

決めたばっかりなのにもう奉行を変えてしまうのですね。

憲三郎先生

前回決まった奉行は首塚築造の奉行でこの史料の奉行は京都を取り仕切る奉行です。

ガラシャ

この二人は誰ですか?

憲三郎先生

どちらも羽柴秀吉の家臣です。杉原家次は羽柴秀吉の正室・寧々の叔父で丹波福知山城主となります。浅野長吉は寧々の義弟にあたるようです。

ガラシャ

親戚にあたる家臣で京都の守りを固めたのですね。そういえば織田信長の葬儀はいつ行なわれたのですか?

ガラシャ

「惟任退治記」って何回か登場していますよね。たしか羽柴秀吉が書かせた本能寺の変の顛末書ですよね?

憲三郎先生

そうですね。羽柴秀吉はこの「惟任退治記」の発行と葬儀を執り行うことによって織田信長の後継者は自分だと各所に宣伝しました。

憲三郎先生

この後羽柴秀吉は柴田勝家と織田信孝を攻めます。

ガラシャ

え!?

ガラシャ

どういうことですか?

憲三郎先生

羽柴秀吉が柴田勝家・織田信孝を攻める事に対する事前通告だと思われます。

ガラシャ

なんだかもうすっかり羽柴秀吉の天下という雰囲気ですね。

憲三郎先生

こうして光秀の戦いは終わります。

ガラシャ

光秀の行なったことはどんな意味があったのでしょうか?

憲三郎先生

私達子孫がこうして生きているということが光秀の戦った大きな意義で成果なのだと思います。

ガラシャ

光秀の戦いの始まりは土岐氏の内乱でしたよね。土岐氏はその後どうなったのですか?

ガラシャ

土岐氏は滅亡してしまったのですか?

憲三郎先生

土岐頼芸の子供は土岐頼芸が美濃を追放された後美濃で生きていました。

ガラシャ

どうやって生き延びたのですか?

憲三郎先生

史料少なく詳しいことはわかりません。稲葉家が匿っていた可能性もありますが、江戸時代の頃には高家を務めていました。

ガラシャ

高家とは、江戸幕府の職名。老中支配に属し、主として儀式・典礼をつかさどり、伊勢・日光への代拝のほか、特に京都への御使い、勅使の接待など、朝廷との間の諸礼にあたった家柄。・・・あれ?すごく良い家柄です。

憲三郎先生

ですが、土岐氏の本家ではありません。

ガラシャ

土岐氏の本家は誰が継いだのですか?

憲三郎先生

土岐氏本家は江戸時代に徳川家康が仕えていた菅沼定政に土岐氏を名乗らせて本家にしました。その後大名となり現代まで続いて居ます。

ガラシャ

え!?土岐頼芸の子孫は思うところはなかったのですか? 

憲三郎先生

史料がないので詳しい経緯はわかりませんが、高家は徳川家の家臣の中でも良い待遇ですので、高家に取り立てられた事と本家が切り替わった事はなにか関連があるのかも知れません。

ガラシャ

本家を継いだ菅沼定政は誰なのですか?

憲三郎先生

菅沼定政は明智家に連なる人物です。

ガラシャ

え!?ここで明智家が出てくるのですか?名字が明智ではないですが・・・。

憲三郎先生

菅沼定政は母の実家に引き取られて菅沼姓になりました。父は明智定明です。

ガラシャ

光秀とはどう繋がるのですか?

憲三郎先生

簡単に言うと光秀のひいひいおじいさんの兄弟の家系ですね。

ガラシャ

どうして土岐頼芸の子孫では無く明智家の人が本家を継いだでしょう?

憲三郎先生

史料からはわかりませんが、土岐頼純の意志を明智家が継いだということかもしれません。というのも光秀の花押には「力仇代糺」(力をもって仇をうち代を糺す)という、文字が組み合わさって出来ています。

ガラシャ

光秀が亡き後で徳川家康が代わりに糺してくれたということですね。

憲三郎先生

ちなみに現代も続く土岐頼芸の家系にはクプリスペプラーさんがいます。明智定明のことやクリスペプラーさんについては私の著書で詳しく書いていますので是非手に取っていただきたいです。

ガラシャ

私も読みました!

憲三郎先生

ガラシャさんはこれで光秀の生涯を一通り学んだことになりますね。

ガラシャ

なんだかもう最初の頃のことを忘れてきてしまった気がします。

憲三郎先生

どうやらこの「教えて憲三郎先生」がYouTubeで配信されるようですよ。

ガラシャ

え!?そうなのですか?

ガラシャ

楽しみです!

”世は移り変わり光秀の思いは継がれていきました。”