第108話 光秀因幡へ行く?

妻木逝去の知らせが飛び交った頃、光秀はどうしていたのですか?

光秀は出陣の待機をしていました。

出陣?詳しく教えてください。

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

よろしくお願いします。

佐竹出羽守って蓮養坊のことでしたよね。


因幡ということは鳥取城でなにか動きがあったのでしょうか?

なんだか緊張感が増してきました・・・。

また丹波より賊船を因幡方面の味方諸城へ兵粮を搬入させ、敵船を撃退させることも重要であり、松井康之の折紙を披見することを通達し、さらに南方への軍事行動の件も通達しました。

松井康之って誰ですか?

松井康之は細川藤孝の家臣です。実はこの人後にとても重要になってくるので覚えておきましょう。

重要人物なのですね!ところで、折紙って折り鶴の折り紙とは違いそうですけど何のことですか?

「折り紙付き」の語源となった折紙のことです。ちなみに、折り鶴の折り紙もこの折紙と関係するようです。

詳しく教えてください。

古くは手紙に添える白紙が略式化され、二つ折りになり、鎌倉時代には訴訟文書などに使われるようになりました。

そんなに古くからあるものなのですね。

室町時代には、刀の品質保証書や鑑定書に使われるようになり、その後物に対してだけでなく、実力がある人物に対しても「折紙」は使用されるようになったそうです。

松井康之の折紙にはどんなことが書いてあったのですか?

史料からはわかりませんが、織田軍の者であることがわかるような身分を証明するものであったのかもしれません。

細川藤孝は因幡へは向かわなかったのでしょうか?

詳しくはわかりませんが、松井康之を派遣したということだと思われます。

この後はどうなるのですか?

8月27日に英俊は、光秀の仲介によって成立した筒井順慶の養子の婚儀の祝言が行われること、藤田伝五が使いに来たことを聞きました。

光秀の仲介で誰が筒井順慶の養子になったのですか?

光秀の次男が養子になったという説もありますが、史料には仲介とあり詳しくはわかっていません。

気になるので、他にも史料が出てくることを祈ります。光秀は因幡に行ったのですよね?

光秀は9月には丹後で行政を行っています。

あれ、どういうことですか?

史料が少なく確かなことはわかりませんが、細川藤孝の対応を見ると、光秀も家臣を派遣したのかもしれません。

史料がもっと欲しいですね・・・。行政はどんなことをしていたのですか?

続きは次回です。

気になります!
