第74話 石山本願寺を攻めに大苦戦 織田信長の異例な助け方?

ガラシャ

光秀は河内に出陣しました。石山本願寺との戦いですよね、戦況はどうなったのですか?

ガラシャ

え!?

憲三郎先生

佐久間信栄・光秀・猪子高就・大津長治と近江勢は、天王寺に立て籠もり敵に包囲されてしまいました。

ガラシャ

稀に見る大ピンチです。

憲三郎先生

このとき織田信長は京都にいました。知らせを受けた織田信長は、諸国に出陣命令を発します。

ガラシャ

少しでも近くに居て良かったです。

ガラシャ

さすが情報通の吉田兼見ですが、もうすでに情報が錯綜しています?

憲三郎先生

荒木村重と細川藤孝は援軍でも名前が出てくるので、光秀らとは別働隊だったようです。

ガラシャ

三好康長はどこにいたのですか?

憲三郎先生

史料にはこの後しばらく名前が出てきません。逃亡したという説もあるようです。

ガラシャ

現代もまだ錯綜していました・・・。

憲三郎先生

5月5日に織田信長は天王寺救援のために出陣し、若江に着陣しました。

ガラシャ

急な要請でしたが、人は集まるのでしょうか?

憲三郎先生

なかなか軍勢がそろわず5月6日は若江に駐留しました。

ガラシャ

やっぱり・・・。

ガラシャ

え!?どうやって勝ったのですか?

憲三郎先生

軍勢を三段に配備し住吉の方面から攻撃を開始しました。

ガラシャ

三段というと人員配置はどんな様子だったのですか?

憲三郎先生

第三陣の後備は、お馬廻り衆。

ガラシャ

側近とか小姓がいる部隊ですね。

憲三郎先生

第二陣は、滝川一益・蜂屋頼隆・羽柴秀吉・丹羽長秀・稲葉一鉄・氏家直通・安藤守就。

ガラシャ

よく見るメンバーですね。

憲三郎先生

先陣は、佐久間信盛・松永久秀・細川藤孝・および若江衆。

ガラシャ

心強いメンバーです。

憲三郎先生

そして

ガラシャ

そして?

憲三郎先生

先陣の足軽衆に混じって織田信長はここかしこで指揮をとりました。

ガラシャ

織田信長は大将ですよね!?先陣は危ないのでは!?

憲三郎先生

足に銃弾が当たって軽傷を負ったそうです。

ガラシャ

・・・大将が先陣を切るって普通のことなのですか?

憲三郎先生

異例なことでしょうね。織田信長の戦の中でも先陣を切ったのはこの時だけだったと思われます。

憲三郎先生

敵は銃弾を雨あられのように撃って防戦したが、これを切り崩し天王寺の砦に駆け込み合流を果たしました。

ガラシャ

どうなることかと・・・良かったです。

憲三郎先生

しかし、敵の大軍は決して引きません。

ガラシャ

どうしましょう・・・。

憲三郎先生

織田信長は、陣容を二段に編成し直し、再び攻撃を開始します。

ガラシャ

なんだか映画みたいです!

憲三郎先生

敵城の木戸口まで追い詰めて2700人余りを討ち取りました。

ガラシャ

快進撃ですね。でも、この後はどうしたのですか?

憲三郎先生

織田信長は大坂を囲むように、10カ所の砦を造らせました。

ガラシャ

包囲されていきます。

憲三郎先生

天王寺には佐久間信盛・佐久間信栄・新藤賢盛・松永久秀・松永久通・水野直盛・池田秀雄・山岡景宗・青地元珍らを城番として置きました。

ガラシャ

手堅いメンバーです。

憲三郎先生

住吉の海岸沿いに砦を作り海上警備として、真鍋七五三兵衛・沼野伝内を配置しました。

ガラシャ

徹底配備ですが、籠城メンバーで残っているのは佐久間信栄だけですね、光秀はどこに居たのですか?

憲三郎先生

光秀は織田信長の使者として和泉に訪れていました。

ガラシャ

和泉って摂津の南隣ですよね?

ガラシャ

万見重元って誰ですか?

憲三郎先生

万見重元は織田信長の小姓です。通称は仙千代で、万見仙千代の名で知られています。戦死した時まで童名の仙千代で記録されているため、年齢的には若かったものと推測されているようです。戦場では主に検使の役を務めた代表的な側近のようです。

ガラシャ

検使ってなんですか?

憲三郎先生

検使とは、事実をあらため、見届けるために派遣される使者のことです。

ガラシャ

森弥四郎って誰ですか?

憲三郎先生

史料からは、森弥四郎は織田信長の使者から通達を受けとる事のできる立場の人であった事だけしかわかりません。

ガラシャ

史料が足りないですね・・・。

ガラシャ

祗候ってどういうことですか?

憲三郎先生

祗候とは、貴人のそばに奉仕すること・目上の人のご機嫌伺いをすることをいいます。

ガラシャ

村井貞成は誰ですか?

憲三郎先生

村井貞成は村井貞勝の長男です。織田信長の馬廻衆として仕え、村井貞勝が京都所司代になってからはその補佐を務めているようです。

ガラシャ

堀秀政は誰ですか?

憲三郎先生

堀秀政は織田信長の側近です。天正3年の越前一向一揆討伐にも参加しています。

憲三郎先生

元亀二年に三好勢と和睦した際に織田信長の臣下にくだり、足利義昭が追放された時には、京都に留まり足利義昭が去った後の槇島城を任されました。槇島城は山城の守護所だったので、織田信長は細川昭元を山城守護に任命したようです。

ガラシャ

大出世を遂げていらっしゃる・・・。

憲三郎先生

その10日後の5月23日に、光秀の身に異変が起きます。

ガラシャ

異変!?

ガラシャ

陣にいたのに帰ってくるなんて・・。

憲三郎先生

そうですね、よっぽどのことだったのだと思われます。

ガラシャ

曲直瀬道三って誰ですか?

憲三郎先生

曲直瀬道三は日本医学中興の祖として「医聖」と称される医師です。

ガラシャ

そんなすごいお医者さんの治療を受けるほどの病って、なんの病気だったのですか?

憲三郎先生

この時光秀がかかった病は風痢といわれています。

ガラシャ

風痢・・・?

憲三郎先生

詳しくは次回です。

ガラシャ

気になります!

”河内出陣も大敗。織田信長の救出により九死に一生、と思いきや病に倒れます。”