第71話 織田信長上洛と丹波にいる光秀の様子

ガラシャ

光秀はそろそろ丹波・丹後に出発ですが、織田信長が上洛するっていっていましたね。

憲三郎先生

そうですね、今回の上洛の大きな理由は官位昇進の為だと思われます。

ガラシャ

官位昇進?天皇からもらう官位ですか?

憲三郎先生

そうです。7月の時には辞退していましたが、今回は満を持して官位をいただくようです。

ガラシャ

おめでたい理由の上洛で、なんだかほっとしました。

憲三郎先生

では、今回も順を追って史料を見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

憲三郎先生

天正3年10月10日に織田信長は上洛のため岐阜を出発しました。

ガラシャ

前回の最後に出てきた書状の翌日ですね。

憲三郎先生

10月12日に完成した瀬田橋の検分をします。この日に妙覚寺に到着し、この後しばらく滞在します。

ガラシャ

瀬田って舟で渡らなくてはいけなかった琵琶湖の南の所ですよね?瀬田に橋が架かったのですか。

憲三郎先生

山岡景隆・木村高重に命じて7月12日から作り始めていました。

ガラシャ

大工事だったでしょうね・・・。

憲三郎先生

木村高重はこの頃に、織田信長の官位昇進に伴う儀式を執行するための式場を宮中に建造する担当奉行を命ぜられます。

ガラシャ

木村高重は大活躍ですね。

憲三郎先生

10月19日に伊達輝宗より馬2頭・鷹2羽が献上されました。織田信長は伊達輝宗からの使者を清水で供応しました。

ガラシャ

供応ってなんですか?

憲三郎先生

供応とは饗応のことで、お酒や食事でおもてなしをする事です。

ガラシャ

同じ読み方で同じ意味なのですね。

憲三郎先生

10月20日に播磨の赤松広秀・小寺政識・別所長治およびその他の国侍達が織田信長に挨拶に来ました。

ガラシャ

播磨ってどこのことですか?

憲三郎先生

播磨は今の兵庫県南西部です。

ガラシャ

だんだん登場する国が遠くなってきました。

憲三郎先生

10月21日に石山本願寺の門跡顕如光佐が三好康長・松井有閑を介して和睦を願い出ました。

ガラシャ

石山本願寺って一揆勢の石山本願寺ですよね?

憲三郎先生

和睦を願い出てくるということは、織田信長の勢力が増してきているということ感じたのだと思われます。

ガラシャ

織田信長はどうするのですか?

憲三郎先生

織田信長はこれに応じました。

ガラシャ

織田信長は戦が好きなイメージでしたが、降伏や和睦を申し込まれると許すことが多いですね。

憲三郎先生

好んで戦いをしているわけではない、ということが窺えますね。

ガラシャ

織田信長を知る度にイメージが変わります。この後はどうなるのですか?

憲三郎先生

10月28日に織田信長は、妙覚寺で茶の湯の会を催します。

ガラシャ

茶の湯・・・なんだか雅な響きです。

憲三郎先生

11月4日に清涼殿にて権大納言に任じられ、7日に宮中にて天皇よりお盃を頂戴し右大将にも任じられます。

ガラシャ

権大納言と右大将の兼任ですか・・・。なんかもうわからないですけど、すごいですね。

憲三郎先生

しかし、岩村城攻めをしている織田軍に武田勝頼の軍勢が攻めてきているという知らせを受けて、11月14日の夜に岐阜に戻るために急いで京都を出発します。

ガラシャ

・・・急展開です。

憲三郎先生

15日に織田信長が岐阜に到着すると、織田信忠の活躍で難を逃れていました。

ガラシャ

良かったです。

憲三郎先生

11月21日に岩村城を攻め落とすと、武田勝頼は本国へ撤退していきました。

ガラシャ

今回は織田信忠が大活躍でしたね。

憲三郎先生

岩村城へ河尻秀隆を入城させ、11月24日に岐阜城へ凱旋しました。

ガラシャ

あれ?そういえば光秀はどうなったのでしょう?

ガラシャ

近江もなんだか騒がしいですね。

ガラシャ

丹波は順調そうで安心しました。

憲三郎先生

11月28日に織田信長は、家督を織田信忠に譲ります。

ガラシャ

大活躍が背中を押したのでしょうか?家督を譲るって具体的にはどういうことですか?

憲三郎先生

一般的には家長の交代ということです。史料には織田信長は尾張・美濃の二国を譲り、茶の湯道具だけを持って佐久間信盛邸に移ったとあります。

ガラシャ

佐久間信盛の家に、ですか!?

憲三郎先生

このあと、あの有名な安土城が造られます。

ガラシャ

安土城!坂本城と近くなりますね。坂本城といえば、光秀はどうしていますか?

ガラシャ

徳政令ってなんですか?

憲三郎先生

徳政令とは債権者・金融業者に対して、債権放棄(債務免除)を命じた法令のことです。

ガラシャ

借金が少なくなったり、なくなったりする。ということですか?

憲三郎先生

簡単に言うと、そうですね。

ガラシャ

借金のあった人にはとってもありがたいですが、貸していた人には辛い法令ですね。

憲三郎先生

この頃は、領国の民の救済などのために政策として活用されていたようです。

ガラシャ

在々所々の百姓というのはどこの百姓ですか?

憲三郎先生

史料からはわかりません。光秀の単独の書状なので光秀の領地か影響下にある地域だと思われますが、関係のありそうな書状がひとつあります。

ガラシャ

どんな書状ですか?

ガラシャ

掃部助って誰ですか?

憲三郎先生

並河易家の事だと言われています。並河易家は丹波衆の一人で、後に光秀の家臣となります。

ガラシャ

ということは、丹波の百姓に宛てた物なのでしょうか?

憲三郎先生

史料が少なく断定できませんが可能性は高いと思われます。

ガラシャ

なんだか丹波・丹後攻めはとても平和で順調ですね。

ガラシャ

え!?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!!

”光秀は丹後・丹波に向かったようです。
順調かと思いきや敗北の知らせ!?”