第96話 石山本願寺との和睦まで

ガラシャ

石山本願寺との和睦と聞いてもいつのまに?って思ってしまいますが・・・。

憲三郎先生

光秀は行政を担当していたので、光秀だけを見ていると驚くのも無理はないです。

ガラシャ

光秀が行政をしていた天正8年1月~4月までの間にどんな動きがあったのですか?

憲三郎先生

三木城の攻略・北条氏との同盟・花隈城との合戦、そして石山本願寺との和睦などがありました。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

憲三郎先生

天正8年1月15日に羽柴秀吉は三木城に籠城する、別所長治・別所吉親・別所友之に降参し、切腹するように書状を送りました。

ガラシャ

羽柴秀吉がずっと包囲していた三木城ですね。

憲三郎先生

それを受け入れて、1月17日に別所長治・別所吉親・別所友之とその妻子は切腹・自害しました。

ガラシャ

妻子もですか・・・。

憲三郎先生

その後、城内の者は助け出され、別所長治・別所吉親・別所友之の首は安土へ送られました。

ガラシャ

これで三木城は攻略されたのですね。

憲三郎先生

2月21日より織田信長は上洛し妙覚寺に泊まっていました。

ガラシャ

織田信長は京都でなにをしていたのですか?

憲三郎先生

2月24日には鷹狩り、2月26日には宿所とするために本能寺を普請するよう指示を出します。

ガラシャ

本能寺やっと出てきましたね。

憲三郎先生

2月27日には山崎で花隈城に対する砦造りを織田信澄・塩河長満・丹羽長秀に命じました。

ガラシャ

花隈城は荒木村重が逃げ込んだ城ですね。

憲三郎先生

2月28日に根来寺の岩室坊から挨拶をうけ、2月29日30日・3月1日は鷹狩りをしました。

ガラシャ

鷹狩りが目立ちますね。

憲三郎先生

織田信長が鷹狩りを好むのは有名な話ですね。

ガラシャ

偉い人の休日って雰囲気です。

憲三郎先生

その頃、宮中から石山本能寺へ織田信長と和睦するように勧告の勅使が派遣されました。

ガラシャ

勅使って誰が行ったのですか?

憲三郎先生

勅使を務めたのは近衛前久・勧修寺晴豊・庭田重保の3人で、補佐として織田方から松井有閑・佐久間信盛を同行させました。

ガラシャ

とうとう宮中からの勅使となると石山本願寺も決断が難しそうですね。

憲三郎先生

3月3日に織田信長は伊丹城を検分しました。

憲三郎先生

3月7日に山崎へ戻る途中で鷹狩り、3月8日に帰京し妙覚寺に入りました。

ガラシャ

なんだか織田信長も忙しいですね。

憲三郎先生

3月9日に本能寺にて滝川一益の取り次ぎで、北条氏政から鷹13羽の献上を受けました。

ガラシャ

今まで北条氏政は出てきたことがありませんでしたが、聞いたことがあります。

憲三郎先生

今の神奈川県の川崎市・横浜市を除いた地域にあたる相模国の武将です。

ガラシャ

鷹を贈られるということは織田信長の鷹狩り好きは有名だったのですね。北条氏政とは交流はあったのですか?

憲三郎先生

実は、天正7年の10月25日に徳川家康と共同作戦を決行するなど、すでに織田信長の味方をしていました。

憲三郎先生

3月10日に北条氏政の使者の挨拶を受け、織田家と北条家は縁を結び関東八州は北条家の領国であることが承認されました。

ガラシャ

正式に同盟を結べたのですね。関東八州ってどこのことですか?

憲三郎先生

相模・武蔵・安房・上総・下総・上野・下野・常陸を指すようです。

ガラシャ

聞いたことある国名もちらほら・・・今の何県ですか?

憲三郎先生

神奈川・東京・埼玉・千葉・群馬・栃木・茨城ですね。

ガラシャ

そのまま関東地方なのですね。

憲三郎先生

3月15日から19日までの5日間に織田信長は長命寺善林坊で鷹狩りをし、19日に安土へ帰城しました。

ガラシャ

長命寺ってどの辺りですか?

憲三郎先生

長命寺は滋賀県近江八幡市の辺りです。

ガラシャ

贈られた鷹で鷹狩りをしたのかも、と思うとちょっと親近感が湧きます。

憲三郎先生

閏3月2日に花隈城から敵が出撃し、池田恒興の詰めていた砦を攻撃してきました。

ガラシャ

え!?

憲三郎先生

すぐに足軽部隊が応戦し、池田恒興と、その子の池田元助・池田照政兄弟で屈強な敵5、6人を槍で討ち取りました。

ガラシャ

結果はどうなったのですか?

憲三郎先生

結局この時は勝敗がつかず両軍兵をひいたそうです。

ガラシャ

そうですか・・・。

憲三郎先生

先日勅使を受けた石山本願寺は評議の結果、和睦を受け入れ7月20日までに大坂から撤退することに決め勅使に承諾の返事をし、誓紙の作成のため検使の派遣を願い出ました。

ガラシャ

誓紙の作成に立ち会う人ということですね。

憲三郎先生

閏3月6日に検使に任命された青山忠元が天王寺へ着き、翌日の閏3月7日に誓紙の作成に立ち会い、署名を見届けました。

ガラシャ

とてもとても長い戦いでしたが、これで和睦成立ですね。

憲三郎先生

4月9日に石山本願寺門跡は大坂を退去し、新門跡と門徒が残りました。その新門跡と門徒も8月2日に大坂を退去する事になります。

ガラシャ

ちょっと感慨深いですね。

憲三郎先生

その頃、羽柴秀吉は播磨・但馬を平定、柴田勝家は加賀・能登を平定しました。

ガラシャ

ここにきて織田軍はとても順調ですね。4月以降の光秀の行政はどうなっていくのですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

楽しみです。

”石山本願寺との長かった戦いがやっとおわりました。”