第97話 引き続き行政を担当する光秀

ガラシャ

石山本願寺との和睦以降、光秀はなにをしていたのですか?

憲三郎先生

その後も丹波・丹後の行政を担当していました。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では今回も史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

ガラシャ

引き続き光秀家臣への慰労会と人事査定面談を兼ねた茶会ですね。

ガラシャ

執奏ってなんですか?

憲三郎先生

執奏とは意見、書き物などをとりついで貴人に奏上することです。

ガラシャ

光秀が取り次ぎ役になって進上したということですか?

憲三郎先生

そのとおりです。

ガラシャ

この時もまだ織田信長と長宗我部元親は良い関係ですね。この後の光秀は何をしたのですか?

ガラシャ

斎藤利三は言わずと知れた光秀の家臣ですね。

憲三郎先生

そうですね、光秀に関わる史料での最初の登場は永禄13年です。

ガラシャ

門前地下中って誰宛ですか?

憲三郎先生

門前地というのは寺院の領有する寺院門前の地所のことを指します。下にはそば・まわりという意味もあります。

ガラシャ

門前地の周りの人々へということですね。

憲三郎先生

内容としては、「戦で離れてしまった人へ還住を促すために、白毫寺に還住した衆僧の人足役を免除するという通達をした。」ということだと思われます。

ガラシャ

白毫寺ってどこのお寺ですか?

憲三郎先生

白毫寺は兵庫県丹波市に今もあります。

ガラシャ

なるほど、丹波の行政だったのですね。他にはどんなことをしていたのですか?

憲三郎先生

賀茂庄は兵庫県氷上郡にあった鴨庄村で、今の丹波市市島町の南東部の辺りです。

ガラシャ

読み方は同じで字が違うのは何度かありますが、面白いです。

ガラシャ

入魂って一球入魂の入魂ですか?

憲三郎先生

この入魂は親密であること。また、そのさま。を指す入魂(じゅこん)だと思われます。

ガラシャ

親密であることの理由を伝えたというのはなかなか気になりますね。

ガラシャ

某日ということは日付不明なのですね。

ガラシャ

西方寺ってどの辺りのお寺ですか?

憲三郎先生

山城葛野郡の西方寺に宛てたものとされているようです。

ガラシャ

山城葛野郡ってどの辺りですか?

憲三郎先生

今の京都の北西部の辺りですね。

ガラシャ

丹波の寺領ってどの辺りだったのでしょうね・・・。

憲三郎先生

今も残る丹波の西方寺は京都府宮津市と京都府京丹後市にあります。史料の解析が進めば詳しくわかるかも知れません。

ガラシャ

史料の解析に期待ですね。それにしてもなんだか大きな事件もなく平和そうです。

憲三郎先生

この後、織田軍の中で大きな人事異動があります。

ガラシャ

人事異動ですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”光秀は引き続き丹波・丹後の行政をおこなっていました。”