第94話 荒木村重、尼崎城へ移動の余波
やっと光秀が丹波・丹後を平定したのに、伊丹での事件って・・・
荒木村重の謀反の後の経緯は覚えていますか?
たしか、荒木村重が謀反して、包囲戦になって・・・
そして・・・。
伊丹城に立て籠もって、御共5、6人を連れてこっそり逃げ出してしまったのですよね。
光秀が丹波攻めを頑張っていた頃ですよね?
そうです。
尼崎城も包囲されたのですよね?
そうです、織田信忠が尼崎城近くに砦を築きました。
その後は、どんな動きを見せていたのですか?
では、史料を順に見ていきましょう。滝川一益が伊丹側の中西新八郎を、調略をもって味方に引き入れます。
伊丹城に残されていた荒木村重の家臣ですね。
10月15日に中西新八郎が、足軽部隊長の数人を仲間に引き入れ上臈塚へ滝川一益の軍を引き入れます。
戦ですか?
滝川一益の軍勢は多数の敵を討ち取り、残った敵兵は伊丹城へ逃げ込みました。
追撃ですか?
織田軍は伊丹の町を無傷で占領し、城と町の間にある武家屋敷の町を焼き払います。
ということは、お城の目の前まで行けるようになったのですね。
そして、伊丹城を四方から押し詰め、やぐらを築き、坑夫に隧道を掘らせ攻め立てました。
隧道ってなんですか?
トンネルのことです。
敵はどうしたのですか?
降参するので助命して欲しいと申し出がありましたが、許されませんでした。
謀反を取りやめなかった段階でもう引き返せないところまできていたのですね・・・。
なるほど、そうなると確かに11月5日のお話は楽しいことだけでは無さそうですね・・・。
史料にはありませんが、もちろん今後の話もしたでしょうね。
そういえば、光秀が最初に説得役になった理由があるのですか?
光秀の娘が、荒木村重の嫡男の荒木村次の正室だったようです。
え!?では、光秀の娘は今どうしているのですか?
事前に離縁されていたそうです。
当時の結婚は同盟とほぼ同じですよね?荒木村重に謀反されてしまって、光秀もとても困ったでしょうね・・・。
そうでしょうね。
その後の伊丹城はどうなったのですか?
11月19日に伊丹城の主だった武将達は妻子を人質として城に残し尼崎城へ退去しました。
えっ、尼崎城へ行かせてしまうのですか?
尼崎城と花隈城を明け渡せば人質の妻子を助命するという条件の伝令と説得役をするためでした。
そういうことですか・・・主だったということは残った人も居たのですか?
史料には、人質の妻子たちを警固するために、吹田某・泊々部某・池田和泉守の3人が残されたとあります。
それなら少しは残された人も安心ですね。
しかし、池田和泉守はその後伊丹城内で自害してしまいます。
え!?どうしてですか?
史料から状況を察するのは難しいですが、残された人々はさらに不安になったでしょうね。
そうですよね・・・その後どうなったのですか?
12月を過ぎても尼崎城と花隈城は明け渡されませんでした。
・・・残された人は、どうなってしまうのですか?
伊丹城の人質は処刑されることが決定しました。
こういうことはよくあることなのですか?
史料には、歴々の武士が人質となっている妻子や肉親を見捨てるようなこの状況を前代未聞の成り行きであると書かれています。
・・・。
この処刑については事細かく史料に残されています。よほど衝撃的な成り行きだったのだと思われます。
言葉も出ませんね・・・。
12月12日に荒木村重の一族は京都へ護送され、それ以外の人々は13日に尼崎に近い七松というところで処刑されました。
尼崎城に近いところでということですね・・・。
ちょっと怖いのですが・・・。処刑された人々はその後どう扱われるのですか?
前々から頼まれていた寺々の僧たちが、遺体を引き取り、弔ったそうです。
なんて言葉にすれば良いのか、せめてちゃんと弔ってくれていて、少し救われました。
・・・そうですね。
荒木村重はこの後どうなっていくのですか?
最終的には毛利領へ亡命したとされています。
なんということでしょう・・・。光秀はこの後どうなるのですか?
この後の光秀は軍事から行政へと活躍の場を変えていきます。
行政ですか?
続きは次回です。
次回が楽しみです。