第95話 人事異動?軍事から行政へ

光秀の活躍が軍事から行政に変わってくるってどういうことですか?

史料を見ていくと天正7年の年末以降光秀が出陣する様子がありません。

出陣せずに何をしていたのですか?

丹波をはじめとした織田軍領内の行政を多く担当していたようです。

詳しく教えてください。

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

よろしくお願いします。

年末のご挨拶ですね。

天正8年1月9日に光秀は、宗及を招き茶会をしました。

茶会と聞くとなんだか平和でほっとします。

史料に詳しく記載されているわけではありませんが、この茶会と宗及を使って光秀は家臣への慰労や、人心掌握に努めたのではないかと思います。

慰労会と人事査定面接を兼ね備えた食事会みたいですね・・・。

この年は頻繁に宗及と明智家臣の茶会が催されます。

注意しておきます。


年始のご挨拶ですかね。

連歌会久しぶりですね。

時宗ってなんですか?

仏教の宗派のひとつです。

いままでも何度か上人という人が出てきましたよね?

今更ですが、上人ってどういう意味ですか?

上人とは、仏教における高僧への敬称であり称号です。

どうして光秀に依頼をしたのですか?

どうして紹介して欲しかったのですか?

同念上人は31代目の遊行上人という、時宗における指導者で、次の遊行先が大和だったようです。

なるほど。


猪飼って聞いたことある気が・・・。

光秀の家臣になっていたのですね。

天寧寺はどの辺りですか?

天寧寺は何カ所もありますが、丹波天寧寺は京都府福知山市の辺りの天寧寺だと思われます。

丹波の行政が本格的に始まったのですね。

無事に紹介してもらえたようで良かったです。


次々と招かれますね。

閏3月13日に光秀は、坂本城の修築を開始しました。

元亀3年に築城してから8年もたっているのですね。


修築の様子を見に来たのでしょうか。

史料にも「城普請を見舞う」とあります。

吉田兼見はいつも飛び回っていますね。

あれ?山城なので、今度は京都の行政のお仕事ですね。赦免ということは、許されたということですか?

そのようですね、史料からは詳しくはわかりませんが、税の関係でなにかがあったようですね。

年貢のお米はわかりますが、夫役ってなんですか?

当時の租税体系には年貢と公事の2つがあり、公事の中でも人的な賦課の部分を夫役と呼びました。

・・・肉体労働ですね。


え!?展開について行けません。この約3ヶ月で何があったのですか?

続きは次回です。

気になります!
