第83話 大坂・丹波攻め

ガラシャ

前回亀山城を作り始めた光秀ですが、この後石山本願寺と丹波へ出陣ですね。

憲三郎先生

そうですね。本陣と共に出陣します。

ガラシャ

どうゆう行程だったのですか?

憲三郎先生

では、今回も史料を順番に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

憲三郎先生

まず、前回お話しした最後の史料ですが、光秀は天正6年3月27日に出陣の予定でした。

ガラシャ

小畠左馬進に宛てた書状ですね。

ガラシャ

なるほど、この時にはもう大坂にいるのですね。

憲三郎先生

また「坊主以下の再起を図りそうな者は赦免ならず」と命じました。

ガラシャ

石山本願寺勢は容赦しないけれど、一般市民は抵抗しなければ傷つけないということですね。

憲三郎先生

そうですね。

ガラシャ

織田信長から戦いの指示出るのが久しぶりのような気がします。

憲三郎先生

織田信長は織田信忠に家督を譲ってからは戦に出ることも少なくなってきていましたからね。

ガラシャ

今回も織田信長は出陣しないのですか?

ガラシャ

織田信長は何をしていたのですか?

憲三郎先生

4月7日に越中の神保長住を二条の新邸に招いていました。

ガラシャ

越中って・・・。

憲三郎先生

越中は今の富山県です。

ガラシャ

神保長住ってだれですか?

憲三郎先生

元越中の国衆です。

ガラシャ

元?

憲三郎先生

上杉謙信の征服と一族の内部紛争などがあったようでこの時は織田信長に仕えていました。

ガラシャ

織田信長は神保長住をなぜ招いたのですか?

憲三郎先生

この日の約1ヶ月前、3月13日に上杉謙信が亡くなった事が関係しているようです。

ガラシャ

上杉謙信!?

憲三郎先生

史料には「越中を侵していた上杉謙信が死去したので神保長住を越中へ入国させた。」とあります。

ガラシャ

神保長住にとっては越中を取り戻すことになるのですね。

憲三郎先生

織田信長は家督を譲っていても、引退したわけでは無く織田信長の戦いをしていたようです。

ガラシャ

頼りになる総大将ですね。光秀の方は、その後の動きはありましたか?

ガラシャ

荒木山城守って誰ですか?

憲三郎先生

荒木山城守は荒木氏綱といって波多野氏の家臣です。居城は荒木城です。

ガラシャ

なるほど、波多野氏の家臣だから攻めたのですね。

ガラシャ

小畠左馬進とはまだ合流できていないのですね。荒木城攻めはどんな戦いだったのですか?

憲三郎先生

史料には取水路を断って攻めた。とあります。

ガラシャ

水は命に直結しますから、敵もたまりませんね・・・。

憲三郎先生

「戦わずして勝つ」という孫子の兵法が活きている戦法だと思われます。

ガラシャ

そんなに大事なことなのですか?

憲三郎先生

味方の損傷を防ぐだけではなく、敵は降伏すれば味方になります。

ガラシャ

敵の損傷を防ぐのも後々を考えれば大事なことなのですね。

憲三郎先生

その通りです。

ガラシャ

孫子の兵法は武将だったら誰でも知っていたのですか?

憲三郎先生

当時の武将の必修科目と言っても良いかもしれませんね。

ガラシャ

光秀はその後どうしたのですか?

憲三郎先生

荒木城に光秀軍を入れた後4月26日に京都へ帰陣しました。

ガラシャ

なんだかどれも少しずつ進んだ感じですね。

憲三郎先生

そして毛利の軍勢が攻めてきました。

ガラシャ

え!?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”大坂・丹波ともに少しずつ前進しました。
上杉謙信の死で越中攻めの予感です。”