第84話 毛利が攻めてきた!?

ガラシャ

毛利軍が攻めてきたって・・・どこから攻めてきたのですか?

憲三郎先生

4月中旬に安芸から進攻し、上月城を包囲したそうです。

ガラシャ

上月城って誰が居るお城ですか?

憲三郎先生

上月城は但馬・播磨を平定した際に山中幸盛が入っていました。

ガラシャ

助けに行くのですか?

憲三郎先生

すぐさま羽柴秀吉と荒木村重が出陣したようですが、救援する策が無かったようです。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、今回も史料を順番に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

憲三郎先生

天正6年4月22日に織田信長は京都から一度安土に戻り、27日に上洛しました。

ガラシャ

もうこの時は毛利軍の攻めてきているのはわかっていたのですか?

憲三郎先生

史料には明確に記されてはいませんが、知らせは届いていたのだと思われます。

ガラシャ

この後は織田軍で総攻撃ですか?

憲三郎先生

織田信長が、5月1日に自ら出陣し毛利と決戦する旨を伝えると、佐久間信盛・滝川一益・蜂屋頼隆・光秀・丹羽長秀が敵城を偵察してからにすべきと反対しました。

ガラシャ

今までに比べて慎重にも感じますが、もっともですね。

憲三郎先生

4月29日に滝川一益・丹羽長秀・光秀が出陣しました。

ガラシャ

先陣は偵察部隊ですね。

ガラシャ

本陣の出陣ですね。

ガラシャ

光秀はどの辺りまで進んだのですか?

憲三郎先生

先陣の嘉古川付近に陣を布きました。

ガラシャ

本陣は違う場所に陣を布いていたのですか?

憲三郎先生

本陣は明石の近くの大窪という村に陣を布きました。

ガラシャ

上月城を包囲している敵はどこに居たのですか?

憲三郎先生

敵城は神吉城・志方城・高砂城の3カ所です。

ガラシャ

どの辺のお城ですか?

憲三郎先生

神吉城は兵庫県加古川市にいまも城跡が残っていますが、別名真名井城・奈幸子城とも呼ばれています。

ガラシャ

今は神吉神社と常楽寺になっているのですね。

憲三郎先生

志方城も兵庫県加古川市にありました。城郭の遺構は観音寺山門脇の高い石垣の前に僅かに残っているそうです。

ガラシャ

こちらも住宅地の真ん中ですね。

憲三郎先生

高砂城は兵庫県高砂市にありました。現在城址には高砂神社が建てられており、境内に石碑と案内板があるそうです。

ガラシャ

ここだけ少し離れて海の近くですね。この後はどうするのですか?

憲三郎先生

織田信長は5月13日に出陣するという命令を各地に出していましたが、5月11日から13日にかけて豪雨が続き京都は洪水が起きました。

ガラシャ

洪水!?

憲三郎先生

そのため、淀・鳥羽・宇治・真木島・山崎の者たちは舟で参上しました。

ガラシャ

想像を超えた展開でした・・・。人が集まらなかったのかと思いました。

憲三郎先生

史料には「今まで織田信長が出陣と決めた日限を違えたことはかった。」とあります。

ガラシャ

どんなことがあっても出陣するだろうと思われていたのですね。

憲三郎先生

それを聞いた織田信長はたいへん喜んだようです。

ガラシャ

戦に真摯に取り組んでいた結果ですね。

憲三郎先生

5月24日に織田信長へ竹中重治より備前八幡山城主が味方になった旨を報告しました。

ガラシャ

竹中重治って誰ですか?

憲三郎先生

竹中重治は羽柴秀吉の家臣です。

ガラシャ

ということは羽柴秀吉からの報告だったのですね。

憲三郎先生

そうです。

ガラシャ

備前ってどのあたりですか?

憲三郎先生

備前国は岡山県東南部、香川県小豆郡・直島諸島、兵庫県赤穂市の一部です。

ガラシャ

備前八幡山城はどの辺りですか?

憲三郎先生

備前八幡山城は岡山県赤磐市の辺りです。今も八幡神社の北にある丘陵に遺構が残っているそうです。

ガラシャ

毛利領の近くに味方が増えるのはありがたいですね。

憲三郎先生

織田信長も喜んだようです。

ガラシャ

ところで出陣している軍はどうしているのですか?

ガラシャ

ついに!どうなったのですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”上月城を包囲されてしまい、救援が難航しています。”