第131話 本能寺の変の翌日

ガラシャ

今回は本能寺の変から一夜明け、天正10年の6月3日のお話ですね。

憲三郎先生

そうですね。光秀は坂本に戻りましたので3日は坂本からスタートです。

ガラシャ

光秀はどんなことをしたのですか?

憲三郎先生

光秀は畿内の平定に動き出そうとしているようですね。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

憲三郎先生

今回も史料が複数あるので、まずは6月3日の光秀の様子から見ていきましょう。

ガラシャ

はい。

憲三郎先生

6月3日に光秀は、近江に進軍しました。また、別の史料には大山崎へ禁制を発行したことも残されています。

憲三郎先生

そうです。ちなみに、大山崎というのは京都府乙訓郡大山崎町のあたりです。

ガラシャ

光秀はどうして大山崎に出陣したのですか?

憲三郎先生

史料には確かな理由は書かれていませんが、大山崎は西国地方から京都に来る道の要所でした。ここをおさえることで羽柴秀吉や四国への遠征軍が攻め込むのを防ごうとしたのだのだと思われます。

ガラシャ

光秀が対策を講じているということは、他の人々はどうしていたのですか?

ガラシャ

斜めならずとはひととおりでない・いいかげんでない様子。・・・なるほど、まだまだ騒動は収まっていなかったということですね。

ガラシャ

上臈衆ってどんな人たちですか?

憲三郎先生

上臈とは、いろいろな意味を持つ言葉なのですが、この場合は「格式の高い家の女性。貴婦人。」を指していると思われます。

ガラシャ

織田信長の奥様方ということですね。

憲三郎先生

6月3日に多聞院門跡の英俊は多くの情報を書き残しています。

ガラシャ

どんな情報ですか?

ガラシャ

大和の多聞院へは翌日に情報が届いたのですね。

ガラシャ

光秀は瀬田だけでなく大津と松本にも陣を置いていたのですね。

憲三郎先生

交通の要所に陣を置き防衛対策をしていたのだと思われます。

ガラシャ

まだ情報がありそうですね。

ガラシャ

大和衆が筒井順慶のことですよね?大安寺・辰市・東九条・法花寺周辺って何のために陣取ったのですか?

憲三郎先生

筒井順慶は光秀の元へ出陣したという史料があります。

ガラシャ

筒井順慶は味方なのですね!

憲三郎先生

その後に移り変わっていくのでよく覚えておきましょう。

ガラシャ

後の史料を楽しみにしています。そういえば、徳川家康はどうしていたのですか?

憲三郎先生

連絡係として京都に残っていたのかもしれませんね。

ガラシャ

織田信澄はここでも謀反の噂がたてられていますね・・・。どうして織田信澄はこんなに疑われたのですか?

憲三郎先生

史料からはわかりませんが、織田信澄は光秀の娘を嫁にもらっていたようです。娘婿ということで光秀の謀反にかかわっていたのではないかと思われたのかもしれません。また、織田信澄は織田信長の甥で、父の織田信勝は謀反の疑いで織田信長に殺されているので動機もあったと見られていたのかもしれません。

ガラシャ

何もしてないのにあらぬ疑いを・・・なんだか申し訳ないですね。

憲三郎先生
ガラシャ

どうして織田信長は織田信忠が謀反したのかもと思ったのでしょう?

憲三郎先生

史料には理由は記されていませんが、織田信忠の無許可の上洛が不信感を抱かせたのかもしれませんね。

ガラシャ

大久保彦左衛門って誰ですか?

憲三郎先生

大久保彦左衛門は徳川家康の家臣です。

ガラシャ

四国攻めにいっていた織田軍はどうしていたのですか?

ガラシャ

どういうことですか?

憲三郎先生

四国に渡るのをやめて、四国へ行くための岸和田の陣から、京都・近江へ行くための摂津に陣を移動したということだと思われます。

ガラシャ

長曾我部元親は謀反のおかげで助かってしまいましたね。

憲三郎先生

この翌日に徳川家康は動き出します。

ガラシャ

え!?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”光秀は、近江に進軍しました。”