第103話 丹波での行政再び
短い旅を終えてお仕事再開ですね。光秀は丹波にいたのですか?
丹波で行政をしていたようです。
詳しく教えてください。
では、今回も史料を順に見ていきましょう。
よろしくお願いします。
どんな内容ですか?
宇津城の井戸を掘るために河原者を派遣するよう求められたので、吉田兼見は早速派遣を申付けました。
丹波の宇津城ですか、光秀は丹波で行政をしていたのですね。
瀬野右近・東沢加賀守って誰ですか?
史料からはわかりませんが、丹波の国衆のようです。
宇津城だけで無く亀山城も普請していたのですね。
御定書ってなんですか?
規約または法令を記したものです。室町時代以降の御定書は、おおむね前半が禁止事項の箇条書き、後半は違反した場合の処罰を記載するのが一般的だったようです。
5月16日に妻木は、所労により在京しました。
所労って体の調子が悪いのですか?
史料からは詳しいことはわかりません。
気になりますね・・・。
嶋左近って誰ですか?
嶋左近は通称で正確には嶋清興という筒井順慶の家臣です。
大和となにかやりとりがあったのでしょうか。
詳しい内容はわかりませんが、大和の検地と関係があるという説もあります。
史料がもっと欲しいですね。
福屋彦太郎って誰ですか?
福屋彦太郎は毛利氏に滅ぼされた尼子家の家臣で、この時は織田家の家臣になっていました。
山中幸盛と同じですね。どうして織田家の家臣なのに光秀が働きを賞したのですか?
史料からはわかりませんが、山中幸盛と同じく光秀の元に配属されていたのかも知れませんね。
伯耆羽衣石城ってどこのお城ですか?
伯耆国の羽衣石城ですね。南条元続の居城で、今も鳥取県東伯郡湯梨浜町に城跡が残っています。
鳥取県で昨年って何があったのですか?
天正8年9月に南条元続が毛利氏と完全に決裂し織田方になっていて、その時に功績を残したようですね。
光秀は行政にかかりっきりですね。
この後光秀は明智家中に掟を定めます。
掟ってどんな掟ですか?
続きは次回です。
気になります!