第103話 丹波での行政再び

ガラシャ

短い旅を終えてお仕事再開ですね。光秀は丹波にいたのですか?

憲三郎先生

丹波で行政をしていたようです。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

ガラシャ

どんな内容ですか?

憲三郎先生

宇津城の井戸を掘るために河原者を派遣するよう求められたので、吉田兼見は早速派遣を申付けました。

ガラシャ
ガラシャ

瀬野右近・東沢加賀守って誰ですか?

憲三郎先生

史料からはわかりませんが、丹波の国衆のようです。

ガラシャ

宇津城だけで無く亀山城も普請していたのですね。

ガラシャ

御定書ってなんですか?

憲三郎先生

規約または法令を記したものです。室町時代以降の御定書は、おおむね前半が禁止事項の箇条書き、後半は違反した場合の処罰を記載するのが一般的だったようです。

ガラシャ

所労って体の調子が悪いのですか?

憲三郎先生

史料からは詳しいことはわかりません。

ガラシャ

気になりますね・・・。

ガラシャ

嶋左近って誰ですか?

憲三郎先生

嶋左近は通称で正確には嶋清興という筒井順慶の家臣です。

ガラシャ

大和となにかやりとりがあったのでしょうか。

憲三郎先生

詳しい内容はわかりませんが、大和の検地と関係があるという説もあります。

ガラシャ

史料がもっと欲しいですね。

ガラシャ

福屋彦太郎って誰ですか?

憲三郎先生

福屋彦太郎は毛利氏に滅ぼされた尼子家の家臣で、この時は織田家の家臣になっていました。

ガラシャ

山中幸盛と同じですね。どうして織田家の家臣なのに光秀が働きを賞したのですか?

憲三郎先生

史料からはわかりませんが、山中幸盛と同じく光秀の元に配属されていたのかも知れませんね。

ガラシャ

伯耆羽衣石城ってどこのお城ですか?

憲三郎先生

伯耆国の羽衣石城ですね。南条元続の居城で、今も鳥取県東伯郡湯梨浜町に城跡が残っています。

ガラシャ

鳥取県で昨年って何があったのですか?

憲三郎先生

天正8年9月に南条元続が毛利氏と完全に決裂し織田方になっていて、その時に功績を残したようですね。

ガラシャ

光秀は行政にかかりっきりですね。

憲三郎先生

この後光秀は明智家中に掟を定めます。

ガラシャ

掟ってどんな掟ですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”丹波の行政はまだまだ続きそうです。”