第128話 本能寺の変~当日の人々の記録~

ガラシャ

イエズス会がとっても情報通だったのですがどうしてですか?

憲三郎先生

天正10年6月2日の人々の行動についての史料を見てみるとわかります。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、今回も史料を見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

憲三郎先生

6月2日の13種の史料の中で光秀・織田信長・織田信忠以外の人々に関する史料は5種あります。

ガラシャ

これも多いですね。

憲三郎先生

1つ目は「イエズス会の年報」です。

ガラシャ

気になっていました!情報の出所はどこなのでしょうか。

憲三郎先生

そうだと思われます。

憲三郎先生

そう言われています。

ガラシャ

どうして本能寺ではなく織田信忠の所にいたのですか?

憲三郎先生

史料からは弥助の詳しい足取りはわかりません。ですが、その他のイエズス会の記録を見ると本能寺での出来事も詳しく残っています。

ガラシャ

ということは、本能寺に居てその後二条新御所の織田信忠の所に駆けつけたということですか?

憲三郎先生

その可能性が大いに考えられます。

ガラシャ

両方の現場にいた弥助が情報源なら詳しいのも納得ですね。他の人の記録も残っているのですか?

ガラシャ

山崎片家って誰ですか?

憲三郎先生

織田軍の武将で近江山崎城城主です。焼き払った自邸は安土にあったそうです。

ガラシャ

近江山崎城はどの辺りにあったお城ですか?

憲三郎先生

山崎山城と呼ばれていて、滋賀県彦根市清崎町に現在も城跡が残っています。

ガラシャ

安土から北に行ったところですね。

憲三郎先生

3つ目・4つ目は「言経卿記」「兼見卿記」で、内容はほぼ同じです。村井貞勝親子三名、馬廻衆らが討死したことが記録されています。

ガラシャ

村井貞勝・・・。京都の行政を一緒に行なったことを思うとちょっと感慨深いですね・・・。

憲三郎先生

5つ目は「多聞院日記」で、筒井順慶の動きが記されています。

ガラシャ

大和の筒井順慶ですね!

ガラシャ

え?なんだか情報が錯綜していますか?

憲三郎先生

間違った情報を聞いたのか、そう見せかけての行動なのかは史料からはわかりません。

ガラシャ

味方の可能性もあるのですね・・・。難しいです。

憲三郎先生

そして、洛中洛外の様子がわかる史料は3種あります。

ガラシャ

どんな様子だったのですか?

憲三郎先生

言経卿記」「兼見卿記」「蓮成院記録」に残っていますが、どれも大騒動や騒動と記録されています。

ガラシャ

火も出ていますし、騒動にならない訳が無いですよね・・・。あれ?そういえば堺に行っていた徳川家康はどうしていたのですか?

憲三郎先生

よく覚えていましたね。実はこの日の徳川家康についてはわからないことが多くあります。

ガラシャ

史料が無いのですか?

憲三郎先生

いいえ、史料は残っているからこそわからないのです。

ガラシャ

どういうことですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”弥助はとても重要な情報を持っていました。”