第111話 四国で何が?長宗我部元親を説得しよう。

光秀の周りが騒がしくなっていくとのことでしたが、何が起こるのですか?

大きな事件が起こるというよりも、少しずつ不穏な空気が漂いはじめます。

詳しく教えてください。

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

よろしくお願いします。




勧修寺晴豊って確か朝廷の人でしたよね、節分方違えってなんですか?

平安時代以降に行われていた風習で、外出や造作、宮中の政、戦の開始などの際、その方角の吉凶を占い、その方角が悪かった場合は別の方向に出かけ、目的地の方角が悪い方角にならないようにしました。このことを方違えと言います。

ということは、節分の日に行った方違えということですね。光秀の配下の井上某は誰ですか?

この史料からはわかりません。井上氏という氏族はいますが、史料が少なく関係性はわかりません。

気になるのでもっと史料が出てくると良いですね。光秀は何をしていたのですか?

1月6日に光秀は、安土の織田信長に年始の礼をしました。

年始のご挨拶は大事ですね!

床の間にかけられている書のことまで残っているのですか?

宗及の「他会記」という史料に残っています。

他会記ってどんな史料ですか?

他会記とは、茶会の記録が記されている茶会記という史料の中でも他所で行われた茶会の記録を指します。茶会の次第や茶道具などが記されていました。

書も茶会を彩る一つのアイテムだったのですね。お正月は来客が多そうですが他には誰か来ましたか?

なんだか賑やかなお正月で平和ですね。どこも不穏な感じはしませんが・・・。

長曾我部元親が織田信長と何かがあって意見が合わないので長曾我部元親を説得したい。ということですか?

簡単に言うとそういうことですね。

長宗我部元親の正室は石谷光政の娘なので、長曾我部元親からみて石谷光政は義父にあたります。

すごい人選ですが、何があったのですか?

この史料からはわかりませんが、天正3年頃に織田信長は、長宗我部元親に四国内は長曾我部元親の切り取り次第という許可を出していたそうです。

平定すれば四国は長曾我部元親が知行して良い。ということですね。

しかし、織田信長は天正9年の後半頃に土佐阿波半国しか領有を認めないと通達したそうです。

織田信長の事情が変わったのですか?

史料からはわかりませんが、織田信長にも何か理由があったのだと思います。

説得の結果はどうだったのですか?

長曾我部元親は織田信長の命令を拒否してしまいます。

え!?光秀はどうしたのですか?

その後の史料を見てみましょう。

お願いします。

あれ?意外な感じです・・・。

まだ石谷頼辰が戻っていなかったのか、問題解決の策があったのか史料からはわかりません。

このほかには史料はないのですか?

100疋が10万円くらいなので50万円くらいでしょうか、これは何のお金ですか?

もう少し史料の解析が必要ですが、光秀だけでなく他にも数人の名前があり、年頭の挨拶に関するなにかだと思われます。

長曾我部元親とは関連はなさそうですね・・・。

この後、光秀はとても重要な人と出会います。

誰ですか?

続きは次回です。

気になります!
