第90話 伊丹城を攻めましょう。

ガラシャ

ついに荒木村重の居る伊丹城が目の前というところですが・・・。

憲三郎先生

どうしました?

ガラシャ

しばらく光秀の様子を聞いてない気がして、どうしているのでしょう?

憲三郎先生

天正6年11月14日に伊丹を攻めて刀根山に陣取った所からしばらく史料に名前が出てきていませんね。

ガラシャ

刀根山って伊丹城とどのくらい離れていたのですか?

憲三郎先生

刀根山は伊丹城の北東5Kmくらいの位置です。

ガラシャ

もうすぐ攻撃開始ですよね?

憲三郎先生

そうですね、12月8日申の刻に諸勢は伊丹へ攻撃を開始しました。

ガラシャ

まだ光秀は刀根山にいたのでしょうか?

憲三郎先生

その間に光秀が動いたという史料が見つかっていないので難しいところですが、刀根山に居た可能性はあります。

ガラシャ

伊丹へはどのように攻撃したのですか?

憲三郎先生

まずは、町の入り口へ押し寄せて銃撃をさせました。

ガラシャ

はい。

憲三郎先生

そして火矢を打ち込んで町に放火をします。

ガラシャ

なるほど。

憲三郎先生

酉の刻から亥の刻まで敵城近くに詰め寄って攻めたが、敵は城壁の際で防戦し・・・。

ガラシャ

防戦し?

憲三郎先生

ここで万見重元が討死しました。

ガラシャ

え!?

ガラシャ

織田信長は前線から離れてしまうのですか?

憲三郎先生

史料にはありませんが、8日の攻撃の様子から長期戦になると見込んだのかも知れません。

ガラシャ

諸所っていうとどの辺りに配備したのですか?

憲三郎先生

史料には、塚口・毛馬(食満)・倉橋(椋橋)・原田・刀根山・古池田・賀茂(川西)・高槻城・茨木城・中島(西宮)・一つ屋(一津屋)・大和田とあります。

ガラシャ

本当に伊丹をぐるっと囲っていますね。光秀はどこに居たのですか?

憲三郎先生

光秀は、播磨の羽柴秀吉に加勢として派遣されました。

ガラシャ

伊丹は長期戦になると見込んで、だからこその派遣なのですね。光秀だけですか?

憲三郎先生

いいえ、播磨へ派遣されたのは佐久間信盛・光秀・筒井順慶です。

ガラシャ

まっすぐ播磨へ行くのですか?

憲三郎先生

一行は播磨に行く途中で、三田城攻めの陣を整えます。

ガラシャ

三田城ですか?

憲三郎先生

三田城は兵庫県三田市屋敷町・天神の周辺にあったとされる城で今は小学校になっていますが、遺構などが残っているそうです。

ガラシャ

三田城には誰が居たのですか?

憲三郎先生

史料には残っていませんが、城主は荒木氏の荒木平太夫といわれています。ただ、当時の状況がはっきりしておらず、後に羽柴秀吉の与力となるようです。

ガラシャ

謎の多い人ですね。

憲三郎先生

その後別所長治が籠城する三木城に対峙している播磨の砦へ補給と補強を行ない帰陣しました。

ガラシャ

何を補給したのですか?

憲三郎先生

史料には、兵糧・鉄砲・弾薬とあります。

ガラシャ

なるほど、大事な任務です。後は帰るだけですね。

憲三郎先生

ここで、光秀は別行動となります。

ガラシャ

別行動ですか?

憲三郎先生

光秀はその足で丹波の波多野氏が籠城する八上城を包囲し、蟻の這い出す隙間無く封鎖しました。

ガラシャ

蟻の・・・。どうやったらそんな封鎖ができるのですか?

憲三郎先生

蟻はもちろん物のたとえですが、四方を軍勢で取り囲み、堀をつくり、塀や柵で何重にも囲い、塀際には兵が駐留する小屋を建て交替で厳重に警備させました。

ガラシャ

ものすごいです・・・。

憲三郎先生

そうです。帽子親には主君や一門の棟梁、信頼の置ける地域の有力者などに委嘱する例が多かったそうです。

ガラシャ

誰の元服ですか?

憲三郎先生

長宗我部元親の嫡男の長宗我部信親です。

ガラシャ

なるほど「信」ですね。でも、どうして石谷頼辰にそれを伝えたのでしょう?

憲三郎先生

長宗我部元親の正室、つまり長宗我部信親の母は石谷家の人で、石谷頼辰の義理の妹でした。

ガラシャ

なるほど、親戚だったのですね。義理の妹?

憲三郎先生

ちなみに、斎藤利三も石谷頼辰の弟です。

ガラシャ

わからなくなってきました・・・。

憲三郎先生

石谷頼辰と斎藤利三の母は美濃の斎藤利賢の正室でしたが、離縁し、その後石谷光政の継室となりました。

ガラシャ

はい。

憲三郎先生

石谷光政から見ると「石谷頼辰と斎藤利三」は継室と前夫との子供で「長宗我部信親の母」は継室との娘(次女)です。

ガラシャ

あれ?そうしたら父違いの兄妹で・・・あれ?義妹になるのですか?

憲三郎先生

石谷光政の正室との娘(長女)と石谷頼辰は婚姻を結び、婿入りしました。

ガラシャ

あ、跡継ぎですね!

憲三郎先生

そうです。なので、姉の夫つまり義理の兄妹になりました。

ガラシャ

わかった気がしますが、複雑ですね・・・。

憲三郎先生

石谷頼辰と斎藤利三と長宗我部信親の母は兄弟なので、長宗我部元親は嬉しい知らせを手紙で送ったのだと思われます。

ガラシャ

なるほど。

ガラシャ

小寺休夢斎って誰ですか?

憲三郎先生

小寺休夢斎は茶人として著名な播磨の武将で、黒田官兵衛の叔父です。黒田官兵衛に従っていました。

ガラシャ

どうして小寺休夢斎に戦況を報告したのでしょう?

憲三郎先生

詳しいことはわかりませんが、この時黒田官兵衛の主君の小寺政職が荒木村重に呼応しようとしたために、黒田官兵衛が荒木村重を翻意させるために有岡城に乗り込んだが、成功せず逆に土牢に幽閉されていました。

ガラシャ

こっちも複雑です・・・。

憲三郎先生

もしかしたらこのことが関係あるかも知れませんが、詳しいことはわかりません。

ガラシャ

謎だらけです・・・。

憲三郎先生

12月21日に織田信長は古池田から京都に帰陣しました。

ガラシャ

本当に長期戦になってきたので引きあげたのですね。

憲三郎先生

12月25日に織田信長は安土に帰城しました。

ガラシャ

この後はどうなるのですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”伊丹城を攻撃するも、一筋縄ではいきません。
光秀は3つの戦場を駆け回っていました。”