第110話 光秀、明智家中法度をつくる。

ガラシャ

光秀がまた明智家の掟を作ったとのことですが、前回は軍の掟でした。今回はどんな掟なのですか?

憲三郎先生

今回作ったのは明智家中のルールです。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では史料を見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

ガラシャ

とても細かそうな・・・どんな内容だったのですか?

憲三郎先生

要約すると次のような内容です。

ガラシャ

はい!

憲三郎先生

一 道中で織田家の宿老や馬廻衆を見かけた時は、その場で片方へ寄り、丁寧にかしこまってお通し申しあげ挨拶をすること。

ガラシャ

礼儀正しくするのは大事なことですね!

憲三郎先生

一 坂本丹波を往復する者は、京へは紫野より白河を通って上り、京からは汁谷(しるたに)大津越えで下るべし。

ガラシャ

京市中を迂回しなさいということですね。

憲三郎先生

また、京都での用事には人をつかわしてしっかり調べること。また自分が京都にいなくてはならない事情があるならば説明すること。

ガラシャ

極力京都に滞在しないようにしていたのですね。

憲三郎先生

一 用事など申し付けた召使などの者が洛中で騎乗することを禁止する。

ガラシャ

確かに、街中を馬で駆けられたら困りますね。

憲三郎先生

一 洛中洛外での遊興見物は禁止する。

ガラシャ

京都は楽しいことがたくさんありそうなのに遊びに行けないのですね・・・。

憲三郎先生

一 道路に於いて他家の衆とにわかに口論する者は理非によらず成敗を加えるべし。但し考えが及ばない成り行きに至っては、その場で一命をかけて解決すべし。

ガラシャ

理非によらずということは、理由があっても非がなくても口論になってはいけないってことですよね。

憲三郎先生

いかなる相手にも隙を与えない柔軟な身のこなしが求められました。

ガラシャ

一命をかけて解決というのもなかなか難しそうです・・・。どうしてこんなに厳しいルールを作ったのですか?

憲三郎先生

史料の最後に理由がわかる一文があります。

ガラシャ

教えてください。

憲三郎先生

右の趣旨は御座所や領地に程近いので、並々ならずに考えること。万一思いがけないことが起きた時は悔やむことができない。

ガラシャ

確かに、丹波も坂本も京都に接しているので、それで気を使っていたのですね。

憲三郎先生

若党や下人以下の面々にも一層のこと堅く申し付けるべし。若しくは違反の者にはただちに罰を与えるべし。八幡宮がご覧になっているので許すべきにあらず。

ガラシャ

ルールを守るための厳しい罰も用意されていたのですね。

憲三郎先生

丹波と近江坂本を往来する家臣が、織田家中で無用な騒動を起こさないように厳しく通達していることがわかります。

ガラシャ

「これを守っていれば大丈夫」というくらいです。

憲三郎先生

実に細やかに神経を使って、具体的な指示を行っていますね。

ガラシャ

このルールを作った後、光秀はどうなっていくんですか?

憲三郎先生

年が明けて天正10年になると、少しずつ騒がしくなっていきます。

ガラシャ

天正10年・・・1582年ですね。

憲三郎先生

詳しくは次回です。

ガラシャ

気になります!

”明智家中法度は明智家が平穏に栄えていくためのルールでした。”