第88話 毛利が海から攻めてきた!?

前回は600艘もの水軍が迫っているってところで終わってしまいましたが・・・。

天正6年11月6日に毛利方の舟が600艘ほど木津沖へ攻めてきた、という史料のことですね。

木津沖ってどのあたりですか?

木津河口という言葉も出てくるので、おそらく大阪湾の辺りでは無いかと思われます。

たしか、織田信長が用意していたのは7隻の大舟だけでしたよね?


この後はどうなってしまうのですか?

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

よろしくお願いします。

九鬼嘉隆の船隊6艘が出撃すると毛利方はこれを包囲して南へ押し戻しつつ辰の刻から午の刻まで海戦となりました。

辰の刻から午の刻って今の何時ですか?

一つの刻がそれぞれ2時間ずつなので、一番長くて7:00~13:00、短くて9:00~11:00です。

6時間と2時間ではずいぶん幅がありますね・・・。

もっと細かく表す言葉もあるのですが、この史料からはこれ以上はわかりません。

織田信長による検分の後の動向は残っていませんが、毛利軍との決着はついていないのでこのまま警戒にあたっていたと考えるのが自然だと思われます。

海戦の結果はどうなったのですか?

九鬼嘉隆の船隊に積まれていた大砲で毛利方の大将の舟を大破し、その後木津河口へ追い込んで敵船数百艘を撃破しました。

600対6でとんでもない戦果ですね・・・。織田信長はその頃どうしていたのですか?

摂津有岡城というと?

有岡城は荒木村重の居城です。今も兵庫県伊丹市に石碑と遺構が残っています。

着々と荒木攻めの準備をしているのですね・・・ついにこちらも開戦ですか?

すぐに攻め始めるのですか?

まずは、茨木城に対して太田の北山に砦を作ります。

茨木城ですか?

茨木城は荒木方の中川清秀の居城です。今の大阪府茨木市にありましたが、今は住宅地になっており、本丸後には標石が立っているそうです。

敵方の城は他にもありますか?

高槻城に荒木村重の家臣の高山右近がいました。こちらには織田信忠率いる別働隊が天神山に砦を築いていました。

高槻城はどの辺りですか?

高槻城は大阪府高槻市城内町の辺りです。今は城域の一部が城跡公園として整備されています。石垣が復元され、高山右近像が建てられているそうです。

さすが!抜かりないです。

荒木村重のいる場所ですね。

丹波に居る味方の軍をこちらに呼ぶと言うことですね。

11月16日に高山右近が味方に転じました。

天神山に砦を作ったのが理由では無いですよね?

織田信長は、高山右近がキリシタンだったので、キリスト教宣教師を通じて織田信長の味方になるように説得していました。

ということは無血開城ですか?

高槻城は明け渡され、高山右近は摂津のうち芥川郡を賜ったそうです。

好待遇ですね。

普請の道具ですか?

砦を諸所に築いたそうなのでその準備かも知れません。

長くかかりそうですね・・・。

やっぱり長期戦になっていますね・・・。

11月24日に中川清秀が織田信長の味方に転じました。

戦況が動きました!

織田方の軍勢を引き入れて一緒に立て籠もっていた石田伊予・渡辺勘大夫の手勢を追放しました。

こちらも最小限の戦いで済んだようですね・・・。

情報支援をしてくれていたのですね。

これで摂津方面の過半は織田信長の勢力下になりました。

今回、戦らしい戦はいまのところ海戦だけですね。

ここでも孫子の兵法が活きたのかも知れません。

そしてこの後本格的に伊丹攻めが始まります。

調略などでできるところはここまでですか・・・どうなっていくのですか?

続きは次回です。

気になります!
