第88話 毛利が海から攻めてきた!?

ガラシャ

前回は600艘もの水軍が迫っているってところで終わってしまいましたが・・・。

憲三郎先生

天正6年11月6日に毛利方の舟が600艘ほど木津沖へ攻めてきた、という史料のことですね。

ガラシャ

木津沖ってどのあたりですか?

憲三郎先生

木津河口という言葉も出てくるので、おそらく大阪湾の辺りでは無いかと思われます。

ガラシャ

たしか、織田信長が用意していたのは7隻の大舟だけでしたよね?

ガラシャ

この後はどうなってしまうのですか?

憲三郎先生

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

憲三郎先生

九鬼嘉隆の船隊6艘が出撃すると毛利方はこれを包囲して南へ押し戻しつつ辰の刻から午の刻まで海戦となりました。

ガラシャ

辰の刻から午の刻って今の何時ですか?

憲三郎先生

一つの刻がそれぞれ2時間ずつなので、一番長くて7:00~13:00、短くて9:00~11:00です。

ガラシャ

6時間と2時間ではずいぶん幅がありますね・・・。

憲三郎先生

もっと細かく表す言葉もあるのですが、この史料からはこれ以上はわかりません。

憲三郎先生

織田信長による検分の後の動向は残っていませんが、毛利軍との決着はついていないのでこのまま警戒にあたっていたと考えるのが自然だと思われます。

ガラシャ

海戦の結果はどうなったのですか?

憲三郎先生

九鬼嘉隆の船隊に積まれていた大砲で毛利方の大将の舟を大破し、その後木津河口へ追い込んで敵船数百艘を撃破しました。

ガラシャ

600対6でとんでもない戦果ですね・・・。織田信長はその頃どうしていたのですか?

ガラシャ

摂津有岡城というと?

憲三郎先生

有岡城は荒木村重の居城です。今も兵庫県伊丹市に石碑と遺構が残っています。

ガラシャ

着々と荒木攻めの準備をしているのですね・・・ついにこちらも開戦ですか?

ガラシャ

すぐに攻め始めるのですか?

憲三郎先生

まずは、茨木城に対して太田の北山に砦を作ります。

ガラシャ

茨木城ですか?

憲三郎先生

茨木城は荒木方の中川清秀の居城です。今の大阪府茨木市にありましたが、今は住宅地になっており、本丸後には標石が立っているそうです。

ガラシャ

敵方の城は他にもありますか?

憲三郎先生

高槻城に荒木村重の家臣の高山右近がいました。こちらには織田信忠率いる別働隊が天神山に砦を築いていました。

ガラシャ

高槻城はどの辺りですか?

憲三郎先生

高槻城は大阪府高槻市城内町の辺りです。今は城域の一部が城跡公園として整備されています。石垣が復元され、高山右近像が建てられているそうです。

ガラシャ

さすが!抜かりないです。

ガラシャ

荒木村重のいる場所ですね。

ガラシャ

丹波に居る味方の軍をこちらに呼ぶと言うことですね。

憲三郎先生

11月16日に高山右近が味方に転じました。

ガラシャ

天神山に砦を作ったのが理由では無いですよね?

憲三郎先生

織田信長は、高山右近がキリシタンだったので、キリスト教宣教師を通じて織田信長の味方になるように説得していました。

ガラシャ

ということは無血開城ですか?

憲三郎先生

高槻城は明け渡され、高山右近は摂津のうち芥川郡を賜ったそうです。

ガラシャ

好待遇ですね。

ガラシャ

普請の道具ですか?

憲三郎先生

砦を諸所に築いたそうなのでその準備かも知れません。

ガラシャ

長くかかりそうですね・・・。

ガラシャ

やっぱり長期戦になっていますね・・・。

憲三郎先生

11月24日に中川清秀が織田信長の味方に転じました。

ガラシャ

戦況が動きました!

憲三郎先生

織田方の軍勢を引き入れて一緒に立て籠もっていた石田伊予・渡辺勘大夫の手勢を追放しました。

ガラシャ

こちらも最小限の戦いで済んだようですね・・・。

ガラシャ

情報支援をしてくれていたのですね。

憲三郎先生

これで摂津方面の過半は織田信長の勢力下になりました。

ガラシャ

今回、戦らしい戦はいまのところ海戦だけですね。

憲三郎先生

ここでも孫子の兵法が活きたのかも知れません。

憲三郎先生

そしてこの後本格的に伊丹攻めが始まります。

ガラシャ

調略などでできるところはここまでですか・・・どうなっていくのですか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”毛利方との海戦は大勝利。伊丹攻めが本格化していきます。”