第87話 荒木村重謀反の噂
荒木村重が謀反するって噂が流れているって・・・まだ謀反をしたわけではないのですね?
そうですね、方々より知らせがあったそうです。
詳しく教えてください。
それでは今回も史料を順に見ていきましょう。
よろしくお願いします。
荒木村重の返事はどういう物だったのですか?
「野心は少しもございません」とのことでした。
良かった、噂は噂だったのですね。とはいっても噂が立ってしまってはどうにかしなければいけませんよね?
織田信長は真意を知って喜び「母親を人質としてこちらへ預け、差し支えなければ出仕せよ」と伝えました。
これでお咎めなしですね!
噂は噂だったから荒木村重に対する気遣いをしてやってほしいってことですね。
阿波ってたしか徳島県でしたよね。どうして阿波に在陣していたのですか?
おそらく荒木村重の謀反の噂があったからでしょう。
なるほど、迅速な対応を賞したのですね。
また嫡男に信の字を遣わして信親と名乗るよう通知し、詳細は光秀に伝達させました。
長宗我部元親と織田信長ってこの時はとっても良い関係を築いているのですね。
きっと荒木村重の騒動のせいで色々な予定が後回しになってしまっていたのですね。
そうかもしれませんね。
明智秀満と孫十郎って誰ですか?
どちらも明智光秀の家臣です。
諸事異見って・・・よろしくご指導お願いしますってことですか?
そうですね、そのような意味だったのだと思われます。
小畠左馬進への信頼がうかがえますね。
丹波を遠隔で任せておける人材ですから信頼を置いていたのも納得です。
一両日中にということは光秀もすぐに出発ですね。
あれ?1日には亀山に行くって言っていたのに・・・。何があったのですか?
実はあの後、荒木村重は出仕しませんでした。
え!?どうしてですか?噂はただの噂だったのですよね?
後に書かれた織田方の史料には謀反を企てていたので出仕しなかったとのこっています。
え~っと・・・どうしましょう?
織田信長は、光秀・羽柴秀吉らに荒木村重の説得を試みさせるも翻意しませんでした。
なんということでしょう。
織田信長は、こうなっては仕方ないと荒木村重討伐を決意し、出陣します。11月3日に京都の邸に入りました。
二度も説得に行くってすごいことのような気がします・・・。
11月6日に毛利方の舟が600艘ほど木津沖へ攻めてきました。
えっ・・・このタイミングって。
そうですね。荒木村重と毛利方が繋がっていたのかも知れません。
どうなるのですか?
続きは次回です。
気になります!