第27話 番外編 羽柴秀吉との出会いっていつ?

ガラシャ

ちらちら木下藤吉郎、羽柴秀吉と名前が出てくるようになってきた後の豊臣秀吉ですが、光秀との最初の出会いはいつだったんでしょう?

憲三郎先生

最初の出会いが記された史料はありません。

ガラシャ

無いんですか・・・。

憲三郎先生

一番早い時期に出会う機会があるとすればおそらく永禄11年(1568年)の美濃です。

ガラシャ

あれ何があった年でしたっけ?

憲三郎先生

ちょうど足利義昭上洛の頃ですね

ガラシャ

と言うと光秀は足利義昭と一緒に居るはずなので越前から織田信長と合流する為に美濃の立政寺に行ったあたりですか?

憲三郎先生

そうですね。光秀は永禄11年7月25日に足利義昭が美濃の立政寺に行くときに同行していて、木下藤吉郎は永禄11年9月7日の畿内平定に参加してます。

ガラシャ

畿内平定というと・・・。畿内が京都の回りも含めた国のことで平定が敵をやっつけ平らにしていくことだから・・。ちょうど20話のあたりですね!

憲三郎先生

そうです。しかし木下藤吉郎が立政寺に居たかどうかはわからないのでなんともいえないところです。

ガラシャ

この時にすれ違っていたとすると確実な所はいつですか?

憲三郎先生

確実に一緒に仕事をしているのは永禄12年4月です。4月14日18日の間に一緒に連署状を発行してますのでこのときには少なくとも出会っています。

ガラシャ

連署状!25話で出てきました。4月にもう発行されているということはその前にはきっと会ってますよね!

ガラシャ

それは・・・。とても大変そうです。

憲三郎先生

この頃は幕府方と織田軍方という関係でした。

ガラシャ

織田軍方・・・そう言えば木下藤吉郎はいつ頃から織田信長の家臣だったんですか?

憲三郎先生

木下藤吉郎が織田家の家臣になったのは天文23年(1554年)17歳の時と言われています。

ガラシャ

光秀はまだ織田信長が幼いときに織田家に行ったことありましたよね?その時には会えてたりしませんか?

憲三郎先生

光秀が土岐頼純と織田家に行った年は1543年なので会えていませんね。その頃まだ木下藤吉郎は6歳です。

ガラシャ

そんなに小さいんですか!?武将の皆さんの年齢のイメージが全然つかめていなかったです。

憲三郎先生

永禄11年上洛の時点だと光秀53歳、織田信長34歳、木下藤吉郎31歳、徳川家康27歳です。

ガラシャ

そんなに年が離れていたんですね。改めて確認するとびっくりです。

憲三郎先生

そうですね。肖像画などで比べて見ることが多いのでついそうなってしまいがちですが、状況を把握するには年齢も大事な情報なのでこまめに確認すると良いですよ。

”光秀と秀吉の最初のお仕事は連署状発行でした!年の差を確認すると見えなかった状況が見える!?”