第28話 越前を攻める!?先陣を任された光秀

ガラシャ

またまた不穏なタイトルです・・・。越前を攻めるんですか?

ガラシャ

光秀はその時はどうしていたんですか?

憲三郎先生

光秀は先陣を務めていたようです。

ガラシャ

え?織田軍の先陣ですか?光秀は幕府の奉公衆ですよね?

憲三郎先生

この軍は織田軍の単独軍では無く、幕府と織田軍合同のいわゆる連合軍でした。

ガラシャ

連合軍!?そんな大がかりな攻められ方をするなんて・・・。越前の朝倉氏は一体何をしたんですか?

憲三郎先生

表向きには将軍の命令に逆らったとされています。

ガラシャ

表向きというのがなんか気になりますが、逆らったら攻められてもしょうが無いのかと思ってしまいそうです。どんな命令だったんですか?

憲三郎先生

史料には朝倉義景が上洛命令を無視したためとされています。

ガラシャ

上洛命令?朝倉義景が無視した上洛命令っていつの?ことですか?

憲三郎先生

史料にはどの上洛命令かの記述はありません。しかし一説には年始の上洛命令というのもあるようで、だとしたら将軍御所を作った際の上洛命令かもしれません。史料の特定をしたいところです。

ガラシャ

なるほど、本圀寺の戦いのあとのお話しですね。上洛しなかったのは朝倉氏だけだったんですか?

憲三郎先生

史料には「尾張・美濃・近江・伊勢・三河・五畿内・若狭・丹後・丹波・播磨十四カ国の大名・武将達を上洛させ」とありますが、どの武将に上洛命令を下したかがわからないため、はっきりしたことはわかりません。

ガラシャ

そこはかとなく歴史の闇を感じますが・・ちょっと触れないことにします。もっともっと史料が欲しいですね。でも越前を攻めるのは光秀としてはなかなか複雑ですね。

憲三郎先生

史料としては何も残ってはいませんが、越前で暮らした時間の長さを思えば複雑だったでしょうね。先陣に起用されたのも越前で生活していたが故のことだったと思われます。

ガラシャ

なおのこと複雑な心境でしょうね。この戦いはこのあとどうなるんですか?

憲三郎先生
ガラシャ

城も気になるのですが、枝城って初めて聞きました。なんですか?

憲三郎先生

枝城とは支城のことで本城を守るように配置された補助的役割を持つ出城・砦・陣屋などのことを指します。

ガラシャ

と言うことは、本城は金ヶ崎城で金ヶ崎城を守る為に手筒山城があったんですね。

憲三郎先生

そうです。ちなみに手筒山城は今の天筒山城のことです。金ヶ崎城とは稜線伝いに繋がっていて福井県敦賀市天筒町に城跡が残っています。

ガラシャ

支城と本城と言うくらいですから手筒山城と金ヶ崎城は近くにあるんですか?

憲三郎先生

天筒山城と金ケ崎城の距離は地図で見てみると直線距離は1㎞も無いように見えます。しかし山の中なので今の道で迂回路を調べてみると5㎞近くあります。

ガラシャ

山道で道が険しくて・・・と思うと、とても良い足止めだったのかもしれませんね。手筒山城を攻略したということは、次は本城の金ヶ崎城ですか?

憲三郎先生

そうです。織田信長は手筒山城を攻略した翌日、金ヶ崎城を攻めました。このとき金ヶ崎城には敦賀司の朝倉景恒(朝倉義景の従兄弟で家臣)が籠城していましたが降参して撤退していきました。

ガラシャ

司ということは敦賀を司っていた人なんでしょうね。金ヶ崎城の次はどうするんでしょう?

憲三郎先生

金ヶ崎城の降参を受け引壇城の敵も撤退しました。史料には金ヶ崎城、引壇城の塀ややぐらを壊したとあります。

ガラシャ

わざわざ壊したことが書かれるということはよほど大事なことだったのですね。この二つのお城はどのあたりにあるんですか?

憲三郎先生

金ヶ崎城は福井県敦賀市金ヶ崎町に、引壇城は福井県敦賀市疋田に今も城跡が残っています。

ガラシャ

引壇城だけ少し遠いと思いましたが・・・。越前から琵琶湖につながる道沿いにあるんですね。

憲三郎先生

重要な城だったのかもしれませんね。そして一行は木目峠を越えて越前中心部へ向かいます。

ガラシャ

だんだん近づいてきました。

憲三郎先生
ガラシャ

14話で出てきた浅井長政!!たしか織田信長と同盟関係だったんですよね?越前に入ったところということは・・・。はさまれました?どうしましょう!?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!!

”越前攻めの先陣を務めたものの越前に入った途端浅井長政に裏切られます。”