第134話 朝廷の動き
羽柴秀吉からの偽情報がでましたが、状況はどうなるのですか?
じわじわと波紋が広がっていきますが、翌日は朝廷が動きます。
朝廷ですか?詳しく教えてください。
では、今回も史料を順に見ていきましょう。
よろしくお願いします。
誠仁親王は二条新御所に居て織田信忠が逃げ込んできて戦火に巻き込まれて禁裏に移動されたのですよね。京都の治安はそんなに悪かったのですか?
そうですね、本能寺の変がおきて京都の治安はあまり良くなかったようです。
吉田兼見が御使に任命されたのですね。
吉田兼見は、親王の命を受けて明日早速出発することになり、緞子一巻を預かり禁裏を退出しました。
誠仁親王に認められたようですごいことですね。
しかし、正本には光秀への命令の内容は記載されていません。
え!?どうしてですか?
内容を隠すことで、朝廷が光秀を認めたという事実を隠すためです。
確かに、内容がわからなければ良くも悪くもどちらにもとれますね。
その頃、光秀はどうしていたのですか?
どの辺りの神社ですか?
近江多賀神社は滋賀県犬上郡多賀町に、賀茂別雷神社は京都府京都市北区上賀茂本山にあります。
禁制って出陣と関係ありますよね?それにしてはちょっと距離が離れていますね。
史料にはありませんが、どちらも安土から上洛する途中にあるので、通路を確保したということではないかと思われます。
なるほど。ところで徳川家康はどうしていたのですか?
甲斐にお城を作るように命じる?織田軍からの応援要請が来ていましたがそちらには行かなそうな様子ですね。
でも出陣準備はしているのですね。・・・どこに出陣するのでしょう?
この史料からはわかりません。この段階では、甲斐に出陣する可能性も織田軍に加勢する可能性もあります。
そういえば、偽情報の余波はまだ無さそうですが、当の羽柴秀吉はなにをしていたのですか?
この日の羽柴秀吉の行動についていくつかの史料が残っています。
ひとつは、「羽柴秀吉は未刻(午後二時前後)に、備中高松を撤収し備前沼に至った。」というものです。
あれ?昨日備前沼を通ると言っていませんでしたか?
この史料は後に羽柴秀吉が書かせた「惟任退治記」のものです。
とても怪しいですね。
もうひとつは、「羽柴秀吉は、姫路城へ入城した。」というものです。
なんだか、こちらが正しいような気もしてきますね。でも、どうして羽柴秀吉は行動を遅く偽造したのでしょう?
史料からはわかりません。おそらく「西国に居て本能寺の変を知ってから移動するにしては行動が早すぎる」と疑念を抱かれないように画策したのかもしれませんね。
史料がもっと欲しいですね。羽柴秀吉がこちらに向かっているということは、毛利氏はどうなっているのですか?
無事に和睦が結べたのですね。
小早川隆景は羽柴秀吉が戦っていた毛利氏の人ですよね。桂左太・岡宗左は誰ですか?
桂左太・岡宗左は毛利氏の家臣です。
・・・あれ?織田信澄だけで無く柴田勝家も謀反したことになっていますが、どこで情報が錯綜したのでしょう?
織田信孝が自害したことにもなっていますね。史料からはわかりませんが、おそらく羽柴秀吉からの情報なのではないかと思われます。
ここにも偽の情報を!?
そして偽情報の力かどうかはわかりませんが、状況がまたひとつ悪くなっていきます。
え!?どういうことですか?
続きは次回です。
気になります!