第135話 御使との会合と摂津の不穏
状況が悪くなっていくということでしたが、偽情報の余波なのですか?
偽情報の余波とは言い切れませんが・・・。
どういうことですか?
状況の変化があったのはイエズス会です。
詳しく教えてください。
では、今回も史料を順に見ていきましょう。
よろしくお願いします。
どんな話をしたのですか?
吉田兼見は御使の趣旨を伝達し、朝廷より預かった巻物等を渡しました。光秀は吉田兼見へ今度の謀叛の存分を雑談し、蒲生賢秀が未だ出仕していないことを伝えました。
蒲生賢秀って安土城を明け渡した人でしたよね。謀反の存分ってどういうことですか?
存分とは「思うままに行なうこと。思い通りにすること。じゅうぶんなさま。」ということを指すので謀反についての様々な事を話したのではないかと思われます。
吉田兼見はお話しをした後は京都に戻ったのですか?
その日は安土城を出て城下の町屋に宿泊しましたが、城下は錯乱していて不便だったそうです。
まだ錯乱しているのですね、誠仁親王が治安維持を命じるのも頷けますね。
しかし、やはり正本では吉田兼見と光秀のやり取りを削除しています。
謀反の存分の内容が気になりますが・・・生き残るためにと思うと仕方ないとも思います。光秀はその後どうしていたのですか?
摂津ですか?
史料にはありませんが、おそらく西国から戻ってくる羽柴秀吉対策として出陣をしたのだと思われます。
なるほど。
どんな依頼ですか?
高山右近へ味方になるように説得する手紙を頼んでいたようです。
どうしてイエズス会に頼んだのですか?
高山右近はキリシタン大名といってキリスト教に入信し洗礼を受けた大名だったからです。
イエズス会からの説得であれば味方になってくれると、そういうことですね。
ですがオルガンティーノは、光秀の小姓にポルトガル語で「光秀に絶対味方するな」と書いた、高山右近宛ての書状を渡しました。
え!?
日本語では味方するように書いてあったので、その一文は高山右近にしか読めなかったそうです。
高山右近はポルトガル語が読めたのですか!?
どうやら「日本文をローマ字表記したものだった」という話もあるようで、日本語ではなかったので他の人は気づかなかったということは確かなようです。
どうしてイエズス会は光秀の味方にならなかったのですか?
様々な説はありますが、史料から光秀不支持の理由はわかりません。
どんな説があるのですか?
布教活動を許可していた信長を討ったから
織田信長に唐入りを指示していたのはイエズス会だったから
織田信長とのいい関係を崩されたから
・・・などですね。
そうなると、羽柴秀吉からの調略が来ていた可能性もゼロではなさそうですね。でも、弥助を助けたのに、弥助の証言は加味されなかったのでしょうか?
わかりません。ただ、この時にこの一文がなければ高山右近は光秀に味方をし、戦況は大きく変わっていたでしょうね。
この後、光秀はどうなってしまうのですか?
続きは次回です。
気になります!