第121話 愛宕山威徳院で連歌会をしました。

ガラシャ

今回は光秀が愛宕山威徳院で行なった連歌会についてですよね。

憲三郎先生

この連歌会はとても重要なポイントになります。

ガラシャ

詳しく教えてください!

憲三郎先生

では今回も史料を見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

ガラシャ

この連歌会は戦勝祈願の連歌会だったのですか?

憲三郎先生

そういわれています。百句あり愛宕山威徳院に奉納されていることから愛宕百韻と呼ばれています。

ガラシャ

戦勝祈願ということはこの後行く毛利領の中国攻めですか?

憲三郎先生

いえ、この後光秀は毛利領には向かいませんでした。

ガラシャ

え?

憲三郎先生

この戦勝祈願は「本能寺の変」の戦勝祈願です。

ガラシャ

あ!聞いたことがあります!謀反を決意したって・・・あれ?光秀はもうずっと謀反の計画をしていますよね?

憲三郎先生

気がつきましたか?一般的に知られている光秀の逸話は「明智軍記」という物語から・・・というのが多いです。

ガラシャ

物語ってことは・・・。お伽話ですよね?

憲三郎先生

そして、この「明智軍記」の元となっているのが、本能寺の変の4ヶ月後に羽柴秀吉が書かせた「惟任退治記」です。

ガラシャ

惟任って光秀のことですよね?光秀を討伐したときの記録ってことですか?

憲三郎先生

そうです。

ガラシャ

でも・・・だったら、本当のことが書かれているのではないのですか?

憲三郎先生

そう思っている人が多いかも知れません。ですが、人類の歴史というのは勝者の記録で構成されています。したがって勝者にとって都合の悪いことは書かれない、またはごまかされている事が大いにあります。

ガラシャ

「惟任討伐記」に書かれた光秀の愛宕山での連歌会は、なにかごまかされていたのですか?

憲三郎先生

まず、連歌会の日付と天気です。

ガラシャ

そこからですか!?・・・天気?

憲三郎先生

そして、呼んだ句の中身です。

ガラシャ

中身はたしかにありえそうです。

憲三郎先生

そして光秀の句に続く行祐・紹巴の句の中身です。

ガラシャ

え?

憲三郎先生

そして「惟任退治記」でごまかされた・・・改竄と言っても良いかもしれません。羽柴秀吉によって改竄された愛宕百韻は、その他の史料にも同じように記録されました。

ガラシャ

あれ?そうなると・・・。今回教えてもらった史料はなんという史料なのですか?

憲三郎先生

「連歌総目録」という連歌の記録です。この史料からは誰が何句詠んだのかということも記録されています。

ガラシャ

光秀は何句詠んだのですか?

憲三郎先生

光秀は発句を含め15句、嫡男の明智光慶が挙句を詠みました。

ガラシャ

光秀が詠んだ句はどのような句だったのですか?

憲三郎先生

「時は今あめが下なる五月かな」というものです。

ガラシャ

どんな意味ですか?

憲三郎先生

表向きには「時は今、雨の下にいる五月だ」という意味だそうです。

ガラシャ

表向きと言うことは、込めた思いが別にあるということですか?

憲三郎先生

「土岐氏は今、この降り注ぐ五月雨に叩かれているような苦境にいる五月である」という思いの込められた句だと思われます。

ガラシャ

連歌にはルールがいろいろとあるのですよね?この日の連歌についてもっと教えてください。

憲三郎先生

では、次回はこの連歌会について詳しく解説しましょう。

ガラシャ

楽しみです!

”光秀は愛宕山威徳院で本能寺の変の戦勝祈願をしました。”