第117話 関東見物その2~徳川領前編~

ガラシャ

関東見物も後半戦ですね。

憲三郎先生

そうですね。甲府から徳川領に入ります。

ガラシャ

詳しく教えてください。

憲三郎先生

では今回も、史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

ガラシャ

誰が一緒だったのですか?

憲三郎先生

史料からは全員の名前はわかりませんが、光秀・細川忠興・筒井順慶らが同行していました。

ガラシャ

一緒に行けなかった人もいるのですか?

ガラシャ

近衛前久って確か公家の偉い人ですよね?どうして拒否したのでしょう?

憲三郎先生

史料からはわかりませんが、徳川領を視察して帰る様子を見られたくなかったのかも知れませんね。

ガラシャ

実際にはどういう日程だったのですか?

憲三郎先生

甲府を出立した日は笛吹川を渡り、右左口というところで陣を取りました。徳川家康は行路に万全の配慮をしたと史料に残っています。

ガラシャ

万全の配慮ですか?

憲三郎先生

兵が担いだ鉄砲があたらないように木を切り払い、街道を拡張し、石を取り除き、水を撒き道路を固めました。

ガラシャ

大工事です・・・。

憲三郎先生

道の左右には、びっしりと隙間無く兵を配置し警備しました。

ガラシャ

厳戒態勢です・・・。きっと宿陣の手配も大変だったのでしょうね。

憲三郎先生

行く先々宿泊地ごとに陣屋を強固に建て、二重三重に柵を作り、将兵の小屋も陣屋の近くに千軒以上建て、朝夕の食事も家臣にぬかりなく申しつけていたそうです。

ガラシャ

想像以上でした・・・。今のオリンピックどころの騒ぎじゃないですね。

憲三郎先生

4月11日は早朝に右左口を出発し女坂を上り山地へ入ります。谷あいに休憩所と厩が立派に建ててあり、酒肴の接待がありました。

ガラシャ

厩ってことは山地に大勢の人数が馬で通れるように整備してあったって事ですよね・・・。

憲三郎先生

その先の柏坂の峠でも、休憩所がきれいに建てられており、酒肴が供された。とあります。

ガラシャ

お酒飲んでばかりですね・・・。

憲三郎先生

この日は、本栖に陣を取りました。この宿泊所も輝くばかりの立派な建物だったそうです。

ガラシャ

本当に連日至れり尽くせりですね。

憲三郎先生

4月12日は未明に本栖を出発し、富士山の裾野の、かみがのが原・井手野へ向かいました。洞窟を見学し併設された休憩所で酒肴が供されました。

ガラシャ

観光っぽくなってきました。

憲三郎先生

浮島ガ原で乗馬を楽しみ、この日は浅間神社に宿陣しました。

ガラシャ

浅間神社は富士山に対する信仰の神社ですね。

ガラシャ

休憩所とお酒はセットなのですね。

憲三郎先生

土地のものに様々な話を聞き、由比や三保が崎などの海を鑑賞しました。羽衣の松などの名所も見物したそうです。

ガラシャ

羽衣の松って天女の羽衣伝説の羽衣ですか?

憲三郎先生

そうですね。羽衣の松は御穂神社の神体で、祭神の三穂津彦命(大国主命)・三穂津姫命が降臨する際の依り代とされているそうです。初代「羽衣の松」は1707年の宝永大噴火の際に海に沈んだそうで、今は三代目です。

ガラシャ

そういうお話しを聞くと繋がっているって実感しますね。他にはなにか見たのですか?

憲三郎先生

その後は久能城を視察し、この日は江尻城に宿泊しました。

ガラシャ

初めてお城が出てきました。

ガラシャ

出発の時間が連日早いです。

憲三郎先生

土地の話を聞きながら安倍川を越え宇津ノ谷峠の休憩所で酒肴を供されました。この日は田中城に宿泊しました。

ガラシャ

安倍川餅の安倍川ですね。昨日から土地の話の聞き込みが目立ちますね。

憲三郎先生

そうですね。史料には途中の城や川、橋や滝などの地形と過去の戦の様子なども詳細に記録されています。

ガラシャ

視察感をひしひしと感じます。

ガラシャ

宿場町はこの時代にはすでにあったのですね。

憲三郎先生

古代、奈良時代・平安時代から駅馬・伝馬の制度によって整備されていったそうで、江戸時代に定められた五街道の宿場町が有名ですね。瀬戸の染飯などの名物もこの時にすでにあったようです。

ガラシャ

瀬戸の染飯ってどんなものですか?

憲三郎先生

瀬戸の染飯は、蒸した餅米をクチナシの実で黄色く染めて磨り潰し、平たい小判形や鱗形、四角形などにして乾燥させたものだそうで、クチナシには消炎・解熱・利胆・利尿の効果があるといわれ、難所が多い駿河の東海道では旅人たちから重宝されたそうです。

ガラシャ

とっても気になります。この日はどこで泊まったのですか?

憲三郎先生

小夜ノ中山の休憩所で酒肴を供され、日坂を越えて掛川に宿泊しました。

ガラシャ

掛川はお茶で有名ですね。

憲三郎先生

この日に織田信長は、細川藤孝へ武田家の討伐は早々に落着し我ながら驚き入るばかりだと伝えました。

ガラシャ

軍事視察もしつつ家臣たちとコミュニケーションの機会にもなっていたのですね。

憲三郎先生

次の日は大きな川を渡ります。

ガラシャ

なんという川ですか?

憲三郎先生

長くなってきたので続きは次回です。

ガラシャ

次回も楽しみです。

”徳川領に入った関東見物ですが、
徳川家康よりとても厚い接待を受けました。”