第116話 関東見物その1~まずは甲斐へ~

織田信長と光秀は甲斐信濃の戦後処理のあと、関東を巡りながら帰ったのですよね?

そうです。天正10年4月2日から織田信長と光秀を含む諸将は関東見物の前に甲斐を旅します。

織田信長が陣を敷いていた諏訪には誰か残ったのですか?

織田信長が帰国の途にある間は織田信忠が諏訪に留意したようです。

甲斐の旅について詳しく教えてください。

それでは今回も史料を順に見てきましょう。

よろしくお願いします。

大ガ原ってどの辺りですか?

大ガ原は山梨県北杜市白州町に台ヶ原という地名が残っています。

大ガ原ではどのように過ごしていたのですか?

大ガ原では滝川一益が指揮をして、数百人が泊まるための仮設宿舎を建て十分な接待をしました。

この頃の仮設宿舎ってどんな造りで、接待はどんなお料理を食べていたのか気になりますね。

そういう史料を探すのも面白そうですね。この時、北条氏政は武蔵野で鳥狩りをして、雉を500羽以上献上したそうです。

500羽ってすごい数ですね。

織田信長は、菅屋長頼・矢部家定・福富秀勝・長谷川秀一・堀秀政の5人に遠国から到来した雉の配分を担当させました。

大変だったでしょうね・・・。

4月3日に一行は大ガ原を出立し、道中に富士山と新府城を見学し、古府に到着しました。

古府ってどのあたりですか?

古府は甲府です。今の山梨県甲府市です。

甲府ではどのように過ごしていたのですか?

織田信忠が武田信玄の屋敷跡を整備して仮御殿を建てたのでここでしばらく滞在することにしました。

現代のイメージだと、4月の甲府はとても過ごしやすそうですね。

織田信長は、丹羽長秀・堀秀政・多賀常則に休暇を与えたため、3人は草津へ湯治に出かけました。

温泉ですね!とっても良い休暇になりそうです。

同日の3日に恵林寺が滅亡しました。

恵林寺ってどこのお寺ですか?

恵林寺は山梨県甲州市塩山にあるで、武田信玄の菩提寺だそうです。

滅亡って・・・武田家と何か関係があるのですか?

恵林寺が六角次郎を匿って居たことが発覚した為、織田信忠が織田元秀・長谷川与次・関長安・赤座永兼に成敗を命じました。

織田家とは因縁のある家ですね。

そんな六角氏を武田家縁の恵林寺が匿っていたと・・・織田信忠は大忙しですね。

敵の敵は味方という事だったのかも知れませんね。

この後、光秀含む織田信長ご一行はどうするのですか?

諸将だけが御伴するようにといっていたので、最初は少ない人数イメージしていましたが、数百人の団体が移動したり泊まったりは大変そうですね。

それでも、多くの軍勢を帰国させていたようです。

何か史料があるのですね!

多聞院日記に、4月7日に英俊が、武田攻めの軍勢が大和へ帰国し、筒井順慶は織田信長の御伴で帰国が少し遅れることを知った。ということが残されています。

それを聞いて振り返ると雉500羽はあっという間になくなってしまったのでしょうね。

そうかもしれませんね。

甲府滞在のあとはどんな旅になるのですか?

この後は徳川領に入っていきます。

徳川領ということはついに軍事視察の始まりですか?

続きは次回です。

気になります!
