第77話 紀州雑賀をせめましょう!雑賀衆ってなに?

奥様とのお別れからそんなに日も経っていませんが、もう戦に出陣になるのですか?

次の出陣は天正5年2月なのでもう少しは猶予がありそうです。

今度はどことの戦ですか?

紀州の雑賀衆です。

紀州って梅が有名なあの紀州ですか?

そうです、紀州は紀伊国のことなのですが、今の和歌山県の辺りです。

雑賀衆ってずっと前に出てきた気がするのですが・・・何者ですか?

雑賀衆とは鉄砲傭兵・地侍集団の一つで、「紀州惣国」もしくは「雑賀惣国」とも呼ばれています。

国に属しているわけではなく、団体で動いているイメージなのですね。

雑賀衆は紀伊国北西部の「雑賀荘」「十ヶ郷」「中郷(中川郷)」「南郷(三上郷)」「宮郷(社家郷)」の五つの地域の地侍達で構成されていました。

雑賀衆にも大将的な人は居たのですか?

そうです。十ヶ郷の雑賀党鈴木氏が雑賀衆の頭目的存在だったようです。当主が代々通称とした鈴木孫一という名が有名です。

個人名だと思っていましたが、当主が名乗る通称だったのですね。でも、どうして雑賀衆を攻めるのですか?

天正4年5月の石山本願寺攻めでの大敗はこの雑賀衆が大きく関わっています。

石山本願寺は摂津でしたよね?紀州の雑賀衆がどういう風に関わっていたのですか?

雑賀衆は傭兵集団なので、石山本願寺からの依頼により共闘していました。前の大敗は波多野秀治が敵対したこともありましたが、雑賀衆の加勢も一因だったと思われます。

なるほど、なのでその雑賀衆をまずは・・・ということですね。

そうです。

どんな風に攻めたのですか?

では、前回の続きから、史料を順に見ていきましょう。

よろしくお願いします。

伊勢貞知って誰ですか?

足利義昭に仕えていた人物で、足利義昭が織田信長に追放される以前に既に近衛家の家臣に転じていたようです。

細川信良って誰ですか?

細川昭元のことです。織田信長の妹との婚姻により、織田信長からの偏諱を受けて細川信良と名を改めたようです。

女房衆ってどんな人々ですか?

朝廷や貴顕の人々に仕えた奥向きの女官のことを指すようです。

なんだかややこしそうな知行問題ですね・・・。


石谷頼辰って誰ですか?

石谷頼辰は光秀の家臣です。美濃国の斎藤利賢の長男として誕生し、石谷光政の娘を娶り養嗣子となりました。弟に斎藤利三、実妹に蜷川親長の室、義理の妹に長宗我部元親の正室がいます。

なかなか縁の濃そうな人物ですね。前年に何があったのでしょう?

この史料は山科言継の「言継卿記」なのですが、元亀3年以降が天正4年分しか見つかっていないので、天正3年に何があったのか詳しいことはわかりません。

ちょっと気になりますね。

天正5年2月2日に織田信長へ雑賀衆の五組の内三組と根来寺の杉之坊より織田方に味方すると誓約が届きます。それを受け13日に雑賀へ出陣する旨を諸国に通達しました。

まずは調略からですね。

2月9日に織田信長は、上洛します。翌日10日に織田信長は、細川藤孝へ河内方面への出陣を命じ、光秀・荒木村重とも相談すべしと命じました。

ついに出陣ですか。

この続きは次回です。

病み上がりの出陣なので無事を祈ります。
