第78話 雑賀衆を攻めましょう2

ついに雑賀攻めですが、いつ頃出発ですか?

天正5年2月13日に織田信長は、京都を出陣し八幡に陣を張りました。

八幡ってどの辺りですか?

八幡は今の京都府八幡市の辺りです。

どのくらいの軍勢で攻めたのですか?

五畿内はもちろん、尾張・美濃・近江・伊勢・越前・若狭・丹後・丹波・播磨から大名・武将達が集結していたようです。

総勢力という雰囲気ですね。どのように進軍していったのですか?

翌日は雨のため駐留し、2月15日に八幡から若江へ陣を進めました。

あの足利義昭が追放されて逃げ込んだ若江城のある若江ですね。

2月16日に和泉の香庄に陣を構えます。

香庄ってどの辺りですか?

香庄は今の大阪府岸和田市の辺りだそうです。

どうしてこの場所に陣を張ったのですか?

貝塚に和泉の一揆勢が立てこもっていたので17日に先陣部隊が攻撃する予定でした。

予定ですか?

一揆勢は夜のうちに退去してしまいました。

・・・どうしましょう?

逃げ遅れた者を若干討ち取ったようです。

予定が狂ってしまいましたね。

2月17日に根来寺の杉之坊が織田信長の陣に参上して挨拶し、雑賀方面の平定に尽力することを誓いました。

2月18日に織田信長は佐野の郷に陣を移しました。

佐野の郷ってどの辺りですか?

佐野の郷は今の大阪府佐野市の辺りです。

この後はどう進みましょう?

光秀はどちらに配属されたのですか?

光秀は海岸沿いに進軍しました。

誰と一緒だったのですか?

海岸沿いの軍勢には他に滝川一益・丹羽長秀・細川藤孝・筒井順慶と大和勢がいましたがこの先が険しくなるということでさらに谷・山・中央と3方面に分かれます。

光秀はどこに進んだのですか?

光秀は、細川藤孝と中筋道通りより討入りましたが、雑賀の一揆勢が応戦してきたので戦いとなりました。

光秀と細川藤孝の軍だけではちょっと厳しそうですね・・・。

第二陣として織田信忠・織田信雄・織田信包・織田信孝がかけつけました。

どうなりましたか?

史料には屈強な敵を討ち取り、諸所を焼き払い、中野城を包囲したとあります。

無事で良かったです、この中野城ってどのあたりですか?

中野城は今の和歌山県和歌山市中野にありました。今も石垣跡が残っています。

次は中野城を攻めるのですか?

2月28日に織田信長が丹和まで陣を寄せると、中野城の人々は降参し撤退しました。

織田信長の存在はそんなに怖いものだったのですね。

雑賀衆は鉄砲傭兵なのですよね・・・。鉄砲に対する対策はあったのですか?

史料には竹を束ねた防具で敵の銃弾を防ぎつつ攻め寄ったとあります。

・・・強度的に防げるものなのでしょうか?

どうでしょうか、検証した資料等があれば見てみたいですね。

気になりますね、このあとこの戦はどうなるのですか?

織田信長はどこに居たのですか?

織田信長は、内陸方面・海岸方面どちらにでも出撃しやすいように鳥取の郷若宮八幡宮に陣を移していました。

鳥取の郷若宮八幡宮ってどの辺りですか?

鳥取の郷は日根郡にあった郷です。日根郡は今の大阪府貝塚市・泉佐野市・泉南市・阪南市・泉南郡熊取町・田尻町・岬町の辺りです。

腰を据えていると言うことは長期戦ですか?

一段落ですね。残された人々は何をしていたのですか?

佐野の郷に砦を築くように命じられていた様です。

いつ頃までできあがるのですか?

史料からはわかりません。この後光秀が史料に姿を現すのは4月に入ってからです。

どんな史料ですか?

連歌会ですか、どこで行なわれたのですか?

愛宕山で行なったようです。

この後はどんなことをするのですか?

次に登場するのは5月です。

なんだか飛び飛びですね。

堀江藤秀って誰ですか?

堀江藤秀は越前の武将です。

瀧谷寺ってどこのお寺ですか?

瀧谷寺は福井県坂井市三国町にあるお寺です。

中国って外国の中国・・・ではないですよね?

中国は今の中国地方のことです。鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県の5県より構成されています。

国の名前ではないのですね・・・誰の領地だったのですか?

当時の国名でいうと安芸・周防・長門・備中・備後・因幡・伯耆・出雲・隠岐・石見です。毛利元就の領地でした。

光秀も出陣するのですか?

この史料からは織田信長の中国出陣について、これ以上はわかりません。

このところ史料がまた少なくなってきましたね。

もっと史料が出てきたら良いですね。次の史料は明智の関係者が出てくる6月29日です。

光秀ではないのですね。

明智少兵衛って誰ですか?

明智少兵衛は三澤少兵衛のことだと思われます。三澤少兵衛は明智光秀の家臣で、明智家と婚姻関係等があったかはわかりません。ですが、名字をもらったということでは無いようです。

「明智光秀の家臣の少兵衛さん」っていう呼び名ということなのですね。

そしてこの後大事件が起こります。

え!?

続きは次回です。

気になります!
