第69話 越前へ出陣 再び越前攻め!きっと内心複雑な光秀の隠れた活躍?

ガラシャ

越前に出陣と言っていましたが、今回の敵は越前の一向一揆でしたよね。

憲三郎先生

そうです。朝倉義景を討ち平定した越前でしたが、越前の一揆勢により支配を奪われていました。

ガラシャ

今回は取り返しに行くのですね。いつ出陣ですか?

憲三郎先生

では今回も史料を順番に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします!

憲三郎先生

天正3年8月12日に織田信長は、越前へ出陣し、その日は垂井に陣宿します。

ガラシャ

垂井はどの辺りですか?

憲三郎先生

岐阜城から28Kmの辺りに、今も岐阜県垂井町という町があります。翌日に泊まる小谷城までは30Kmくらいです。

ガラシャ

ちょうど中間辺りですね。

憲三郎先生

8月13日に織田信長は羽柴秀吉が守備している小谷城へ到着し、宿泊します。

ガラシャ

あんなに攻めるのが大変だった小谷城なので、とても頼もしく感じます。

ガラシャ

勅使?朝廷からの使者ですよね?どんな御用だったのですか?

憲三郎先生

この史料からは詳しくはわかりません。

ガラシャ

織田信長はその日はどの辺りに居たのですか?

憲三郎先生

織田信長は、敦賀に到着し武藤舜秀の居城である敦賀城に陣を構えていました。

ガラシャ

あれ?光秀はいつ頃出陣ですか?

ガラシャ

騎と言うことは3万人以上の騎馬隊ということですね。迫力がすごそうです。

憲三郎先生

これを受けて円強寺・若林長門父子の軍勢が出撃してきたが、光秀・羽柴秀吉が二百から三百人討取り、円強寺・若林城へ乗り込み焼き払います。

ガラシャ

光秀も羽柴秀吉も強いです!

憲三郎先生

夜になり、敵の立て籠もる府中竜門寺を乗っ取り焼き払うと、付近に布陣していた敵は府中目指して退却しました。

ガラシャ

夜まで続いたのですね。

憲三郎先生

光秀・羽柴秀吉は退却した敵を追い、府中の町で加賀・越前の一揆勢二千人余りを切り捨てます。

ガラシャ

二千人以上・・・。だんだん規模感がわからなくなってきました。

憲三郎先生

羽柴秀吉は光秀と相談し、去年木芽城を奪取された遺恨があるため、夜中に越前府中へ進撃します。二手に分かれて敵兵を待ち伏せしました。

ガラシャ

一日中激戦が続きますね・・・。

ガラシャ

あれ?織田信長は府中に向かわないのですか?

憲三郎先生

織田信長は敵兵が府中へ流入するのを防ぐため木ノ芽峠で待機します。

ガラシャ

なるほど。

憲三郎先生

光秀・羽柴秀吉が府中へ侵入し敵兵を掃討し、越前は一国平均に属し、府中は死骸ばかりにて一円あき所ない状態となりました。

ガラシャ

なんだか・・・ちょっと現実とは思えないほどですね。想像すると怖いです。

ガラシャ

小畠左馬進は怪我を!?書状はどんな内容なのですか?

憲三郎先生

体を大事にして欲しいということと、越前攻めが終わり次第丹波の宇津に攻め込むということが書かれています。

ガラシャ

この頃の怪我がどのくらい治っていくのかわかりませんが、心配です。

ガラシャ

加賀は一向一揆の本拠地ですよね、ずいぶん攻め込みましたね。

憲三郎先生

8月28日に織田信長は豊原へ陣を進めます。

ガラシャ

豊原はどの辺りですか?

憲三郎先生

豊原は今も福井県坂井市丸岡町豊原に地名が残っています。

ガラシャ

山の中ですね。

憲三郎先生

9月2日に織田信長は、北庄へ行き城を普請するように命じます。

ガラシャ

お城ですか?

憲三郎先生

この場所に柴田勝家の居城になる北ノ庄城ができます。

ガラシャ

どの辺りですか?

憲三郎先生

今の福井県福井市中央1丁目です。今も城跡が残っています。

ガラシャ

福井駅の近くですね。

憲三郎先生

そして北庄の普請場において、打下の林員清を切腹させます。

ガラシャ

切腹!?林員清って坂本で一緒に舟作った人ですよね?何したのですか?

憲三郎先生

元亀元年の志賀の陣の折に浅井・朝倉軍の手引きをし、早船に乗って織田軍に錆矢を射かけるなどしたようです。

ガラシャ

・・・よく今まで生きていましたね。普請場でということは工事現場ですよね?少々生々しいですね。

憲三郎先生
ガラシャ

国分けですか?

憲三郎先生

越前国をそれぞれ家臣に分けて守護させました。柴田勝家に八郡を、金森長近に大野郡の三分の二を、原政茂に大野郡の三分の一を、不破尚光・佐々成政・前田利家にはそれぞれ二郡を与えました。

ガラシャ

柴田勝家はやっと大きい領地をもらえたのですね。

憲三郎先生

そして光秀に直ちに丹後へ出陣するよう命じます。

ガラシャ

越前に丹波・丹後に忙しいですね。

憲三郎先生

9月11日に光秀は、柴田勝家に東大味の一帯の安堵を依頼します。

ガラシャ

東大味は光秀が前に住んでいた地域ですね、どうして柴田勝家に安堵を依頼したのですか?

憲三郎先生

柴田勝家がもらった地域だったようですね、この書状により東大味は安堵され明智神社が生まれるきっかけとなります。

ガラシャ
憲三郎先生

そうです。次回の光秀は丹波丹後攻めです。

ガラシャ

ついに出陣ですね!

”1通の手紙が明智神社のできるきっかけになりました。”