第48話 元亀2年に起きた出来事~後編・光秀、織田家家臣になる~

ガラシャ

前回は比叡山延暦寺の焼き討ちと摂津出陣の行程を教えてもらいましたが、帰ってきたからの光秀はどのように過ごしていたんですか?

憲三郎先生

その後の光秀の動向がわかる史料を見てみると、9月30日に光秀は織田家の家臣として連署状を発行しています。織田方の行政官として働いていたようです。

ガラシャ

どうして織田家の家臣として発行したとわかるんですか?

憲三郎先生

今までの連書状は幕府の役人としての発行だったので、光秀の名前は一番最後にありました。しかし、9月30日の書状では一番最初に署名されていました。

ガラシャ

幕府の役人としてではなく織田家の一番下、現場担当者としての署名だったということですね。
・・・ということはこの時にはすでに幕府から織田家に転職していたんですか?

憲三郎先生

そのとおりです。

ガラシャ

光秀の後任には誰がついたのですか?

憲三郎先生

この連署状で一番最後に署名がある、奉公衆の松田秀雄が後任についたようです。

ガラシャ

奉公衆の引き継ぎも問題なく行われていたんですね。

憲三郎先生

急な転職ではなく手順を踏んでの転職であったことがうかがえますね。

ガラシャ

この連署状はどんな内容だったんですか?

憲三郎先生

阿彌陀寺へ臨時の納税を求めるものでした。10月15日から20日までに二条妙顕寺へ持ってくるようにと書かれています。

ガラシャ

臨時の納税ですか?阿彌陀寺だけにですか?

ガラシャ

そんなにですか?書くだけでも目が回りそうですね。

憲三郎先生

その時のことが公家の山科言継の日記に残されています。

ガラシャ

どんなことが書いてあったんですか?

憲三郎先生

連署状の発行責任者で幕府奉公衆の松田秀雄から助筆を頼まれたので、言継は二十五通、息子の言経は十七通を書いて送った。とあります。

ガラシャ

それにしても、助筆を依頼するということはとても急いで書かれたものなんですね。

憲三郎先生
ガラシャ

どんな内容だったんですか?

憲三郎先生

幕府から立売組の商人に「禁裏から米を金利3割で貸し出します。来年の正月から金利を納めてください。」というものでした。

ガラシャ

あれ?禁裏って何でしたっけ?

憲三郎先生

天皇や親王がいらっしゃる場所ですね。

ガラシャ

このために臨時の納税のお願いを600通も出していたんですね。この内容の現場担当者は・・・大変そうですね。

憲三郎先生

そうですね、行政は戦と同様にとても重要な仕事のひとつです。光秀は織田信長に、戦だけで無く行政能力も認められていたことがわかりますね。

ガラシャ

でも、奉公衆から織田軍に転職してしまって雰囲気は悪くなったりしなかったのでしょうか?

憲三郎先生

この頃の光秀の交友関係のわかる史料があります。

ガラシャ

気になります!

ガラシャ

奉公衆から転職しても吉田家や細川家との関係は変わっていないようで安心しました。

憲三郎先生

関係が変わらないと言えば、12月29日山科言継の元に村井貞勝の訪問があり、これから織田信長の所で細川藤孝と光秀と茶湯を催すとのこと。その夜、山科言継は光秀から困っているでしょうと200疋が送られてきた。という史料も残っています。

ガラシャ

年末にお茶会とは、優雅ですね。疋というのはお金の単位ですか?200疋というと今の価値でくらいですか?

憲三郎先生

100疋=100文=1貫なので1貫を10万円とすると20万円くらいですね。

ガラシャ

山科言継の事情も気になるところですが、そんなスマートに助けられるとときめきますね。

憲三郎先生

お金に関することと言えば史料に、12月20日に光秀から曽我助乗へ

「下京壺底分地子銭、両季ニ弐拾壱貫弐百文 、 為合力進之候、公儀御取成以下頼入候付而、如此候、別而御馳走肝要候、恐々謹言」

という文書があります。

ガラシャ

曾我助乗って誰でしたっけ?

憲三郎先生

足利義昭の側近です。

ガラシャ

なるほど、秘書みたいな。・・・この文書、漢文?どういう意味ですか?

憲三郎先生

「お願いしていた取成しの件について」下京から集めた税金の銭二十一貫二百文を納めます。ということです。

ガラシャ

取成し?誰が誰に取成してもらったんですか?

憲三郎先生

曾我助乗が足利義昭に取成してくれたのか、足利義昭が朝廷に取成してくれたのか、で意見が分かれています。

ガラシャ

それによって、とても史料の解釈が変わりそうですね。ところで、銭二十一貫二百文っていくらくらいですか?

憲三郎先生

一貫を10万円と仮定すると、今の価値で212万円くらいだと思われます。

ガラシャ

212万円というと結構な金額ですが、下京から集めた税金ということは私用ではなさそうですね。

憲三郎先生

前後関係を見直すなど、もう少し史料の解析が必要です。

ガラシャ

史料は解析にも時間がかかるのですね・・・。それにしても、取成しの件ってとても抽象的ですね。

憲三郎先生

・・・実はこの頃、日付のわからない手紙がひとつ存在します。

ガラシャ

どんな手紙ですか?

憲三郎先生

光秀から曽我助乗へ「自分の進退についてお暇を申し上げたところ種々御懇志をいただきかたじけない。とにかく行く末成り難い身上なので直ちにお暇をいただき、頭を丸めるのでお取成しを頼み入ります」という手紙でした。

ガラシャ

また取成し!同じお話しですか?

憲三郎先生

取成しとは仲を取り持つ事ですからそうとも限りません。史料の解析が進めば正しい歴史が見えるはずです。

ガラシャ

この書状の「お暇をいただき」って休暇のことですか?

憲三郎先生

いいえ、これは退職したいということですね。

ガラシャ

え?大事な手紙です!この手紙の日付はとってもとっても重要ですよね?

憲三郎先生

そうです。この日付が解明されれば転職の理由がわかり、それによって解釈が変わる事柄もあるかもしれません。

ガラシャ

でも、光秀は9月30日には織田軍でお仕事していたんですよね?

憲三郎先生

そうです。光秀が織田信長から志賀郡を与えられていたことを示す文書がいくつかあります。

ガラシャ

いくつも!どんな文書なのでしょう?

ガラシャ

ん?

ガラシャ

んん?

ガラシャ

押領とは人の領地を力尽くでうばうこと・・・三通も・・・押領って、光秀はそんな悪いことをしていたんですか?

憲三郎先生

いいえ、違います。確かに押領という言葉になっていますが、織田信長が褒美として光秀に与えた志賀郡の土地の一部が、各寺院のものだったということです。各寺院の土地は返還してくださいね。という書状です。

ガラシャ

あれ・・・。なんとなく、前にもこんなことありませんでしたか?

ガラシャ

思い出しました。ということは、10月時点で土地の行き違い問題が発覚しているので、その頃には織田信長から領地をもらっていた=名実ともに家臣になっていた。ということですね。

憲三郎先生

そのとおりです。

ガラシャ

ターニングポイントだけにもっと詳しく知りたくなりますね。

憲三郎先生

そうですね。

ガラシャ

話が少しそれてしまいますけれど・・・。

憲三郎先生

どうしましたか?

ガラシャ

・・・頭丸めますってお手紙だしたのに出家はしていなそうですね。

憲三郎先生

そうですね。・・・もちろん確証はありませんが、言い出して実行していないということは、足利義昭から出家の必要は無いと言われたのかもしれませんね。

ガラシャ

なぜか、ちょっぴり感謝したい気分です。

”織田信長の家臣としての仕事の
最初の史料は元亀2年9月30日”