第49話 坂本城着工!
何はともあれ、無事に織田軍への転職した光秀ですが、どんな変化があったのでしょう。
元亀3年1月光秀は坂本に居ました。
坂本?比叡山延暦寺の焼き討ちの際にもらった志賀郡の坂本ですか?
そうです。それがわかる史料を見ていきましょう。
はい。
お正月のご挨拶ですね。
あ!なるほど。吉田兼見からのお正月のご挨拶ですね。どうしてお金を持参してきたのでしょう?
史料には残っていませんが、100疋というと10万円くらいですから、滞在費と引越祝い位のお気持ちだったのかもしれません。
光秀が坂本に居たのはわかりましたが、あの有名な坂本城は出来上がっていたのですか?
いいえ、ちょうどこの頃は坂本城の建築中です。
そうなんですか。
お城ができあがるまでって楽しそうです。私も友人がお城作ってたら、ちょくちょく遊びに行きたくなります。
そうですね。城の建築現場は確かに興味が湧きますね。
ところで、1月の前に閏ってついてますが閏って何ですか?
良いところに気づきましたね、これは閏月(うるうづき)です。
閏月?
この頃、日本の暦は現代の太陽暦とは違い、太陰太陽暦(宣明暦)を使用していました。
太陰太陽暦?
そうです。太陰太陽暦とは、月の運行(太陰暦)と太陽の運行(太陽暦)の周期を組み合わせ、季節が大きくズレないように工夫された暦のことを言います。
太陰暦と太陽暦をどう組み合わせたんですか?
太陰暦は、空の月の欠けているのが満ちそして再び欠けるまでを「一か月」とし、それを12回繰り返すことで「一年」としています。
しかし、この暦を使うと12か月は約354.3671日であり、太陽暦の一年(約365.2422日)とくらべて約11日ほど短いので、この太陰暦をこのまま使い続けると、暦と実際の季節が大幅にずれてしまいます。
それは大変です。
このずれは、3年間で1か月分ほどになります。
ど、どうしましょう?
そこで太陰太陽暦ではこの太陰暦の12か月に、約3年に一度、1か月を加え13か月とし、季節とのずれをなるべく少なくする調整をして太陽歴とあわせる事にしました。
なるほど!
この挿入された月を「閏月」といいます。例えば「四月」の次に挿入される閏月は「閏四月」と呼ばれます。
ということは元亀3年の閏1月6日は、1月のあとに閏1月が始まったんですね。
しかしながら、閏月をどの時期に入れるかについては、同じ時代でも地域によって食い違うことがありました。
え?とても困りそうな予感です・・・。
戦国時代に朝廷において暦道を担当していた勘解由小路家(賀茂氏)が断絶した影響などで京における暦の編纂が混乱し、京と地方の民間暦との間で置閏法などに違いが生まれました。
どんなちがいですか?
西日本では伊勢暦、東日本では三島暦がと分かれてしまいました。特に信濃国では同じ国内であるにも関わらず、真田氏・蘆田氏は三島暦、諏訪氏・小笠原氏は京暦(宣明暦)に従って閏月を実施するなどの混乱が生じました。
狭い地域で日付が変わってしまうと大変そうです。
そうですね。軍事命令の通達や報告にとっては、特に致命的となります。
たとえば、信長は改暦にこだわっていました。
少し後のお話しですが・・・信長は、天正十年に閏月を足したかったようです。
西日本と東日本の地域の違いで閏月の位置が違っていたためで、軍事作戦で「日付の勘違い」が起きないようにするためだったと考えられます。
そうですよね。出陣しますってお手紙の日にちが違っていたら一大事です。・・・ところで日本はいつから太陰太陽暦が使われていたんですか?
最初に使われたのは6世紀頃に中国から伝わった元嘉暦です。その後幾度か改暦が行われ、宣明暦までは中国暦を輸入して使っていました。これを漢暦五伝といいます。貞享暦から天保暦までは、日本人の手によって作られた暦法です。
明治5年に明治時代の政府による改暦で太陰太陽暦(天保暦)から太陽暦(グレゴリオ暦)に切替わりました。
太陽暦に変わったのが意外と最近でびっくりしました。
ちなみに厳密には天保暦と同義ではありませんが、現在でも民間では太陰太陽暦は年中行事や占いのために用いることがあり、これを旧暦と呼んでいます。
旧暦の年間行事ですか?
正月や桃の節句に端午の節句七夕もそうです。また、立春や立秋、夏至、冬至などの二十四節気もそうです。
確かになじみのある行事です!やっぱり日本なんですね。
遠い昔のことは違う世界のように感じてしまいそうですが、紛れもなく日本のお話しですからね。
話がそれてしまいましたね、光秀のお城はいつごろできあがるのですか?
史料には元亀3年12月22日に「吉田兼見が城中の天主を見物し驚いた」とあり、元亀4年6月28日に「吉田兼見が光秀を訪問。天主の下立小屋敷にて連歌を興行。」とあるのでこの間には完成していたと思われます。
現代のような工具も重機も無いのに着工から1年から1年半・・・。早いですよね!?
坂本はとても重要な土地なので、とても力を尽くして作られたように感じますね。
知れば知るほど戦国時代の人々はすごいです。