第45話 元亀2年に起きた出来事~前編~

ガラシャ

元亀2年は光秀にとってターニングポイントになる年ですよね。

憲三郎先生

そうです。光秀と光秀の周りで起こることを日付順に、まずは6月まで見ていきましょう。

ガラシャ

はい、よろしくお願いします。

ガラシャ

確か宇佐山城の修復の為でしたね。

憲三郎先生

2月24日に丹羽長秀が、包囲していた佐和山城の磯野員昌(浅井長政の家臣)が降参し高島に逃げます。丹羽長秀は城代として入城する事になりました。

ガラシャ

元亀元年の6月末から包囲していたお城ですね。城代って何ですか?

憲三郎先生

城代とは、城番と同じで城及び周辺の領土の守備を任された家臣のことです。

ガラシャ

なるほど。城番の時も思いましたが、なんだか単身赴任のようですね。

憲三郎先生

5月6日、浅井長政が姉川まで進出してきます。木下藤吉郎が城番をしていた横山城に攻めてきました。

ガラシャ

ついに動きが!どうしましょう?

憲三郎先生

木下藤吉郎はこれを撃退。浅井長政は撤退しました。

ガラシャ

木下藤吉郎も後生に名を残すだけあって強い武将だったんですね。

憲三郎先生

5月12日、織田信長は長島の一向一揆を攻めるために津島まで出陣していました。

ガラシャ

織田信長はどうしてこのタイミングで長島一向一揆を攻め始めたんですか?

憲三郎先生

第一次信長包囲網の影で、尾張の小木江城に居た織田信興(信長の弟)が、石山本願寺の門徒の一向一揆に攻められ切腹した一件がありました。

ガラシャ

覚えています。43話の時ですね。

憲三郎先生

この時の一向一揆が長島の一向一揆だったので、織田信長は弔い合戦に向かったのだと思われます。

ガラシャ

そうだったのですね・・・。結果はどうだったのでしょう?

憲三郎先生

織田信長軍が放火して撤退しようとしたところ、最後尾の柴田勝家に一揆勢が襲いかかります。柴田勝家は軽傷を負って撤退。氏家卜全の他、織田家の家臣が数名討死してしまいました。

ガラシャ

え?まさかの返り討ち・・・ですか?

憲三郎先生

史料にはありませんが、その前後の史料から察するに本隊はなんとか撤退したようです。

ガラシャ

一向一揆。・・・侮れませんね。

ガラシャ

喧嘩なんて、なにがあったんでしょう?

憲三郎先生

どういう経緯の喧嘩だったのかの史料はありませんが、けが人も7,8人でてしまいました。

ガラシャ

でも、喧嘩で史料に残るほど大事になるものですか?

憲三郎先生
ガラシャ

喧嘩でわざわざ足利義昭から内書・・・。内書の内容が気になります。

憲三郎先生

史料には内容は書かれていません。わかるのは、細川藤孝が織田信長に内書のことを知らせたことと、織田信長が「上野秀政の使者と荒川興三の使者と光秀にそのように伝えます」と足利義昭へ伝えて欲しいと細川藤孝に頼んだ、ということです。

ガラシャ

織田信長がこの喧嘩に関わっているのかも気になるところですが、なんでここに光秀が登場するんですか?

憲三郎先生

平時の光秀は幕府の役人として朝廷との対応役をしていました。

ガラシャ

最近、戦いが続いていたので忘れていましたが、そういえばそうでした。たしか一緒に働いていた織田方の朝廷の対応役は朝山日乗でしたね。

憲三郎先生

そうですね。この時光秀が登場したのは、「朝廷側から問い合わせがあった際に答えられないと困るから伝えとこう。」という織田信長の配慮だったのではないか。と思われます。

ガラシャ

なるほど、たしかに答えられないのはよろしくないですね。

ガラシャ

織田信長が直接命令しないのはどうしてですか?

憲三郎先生

幕府の役人の光秀が伝令する事で“天下の儀を委ねられている”正当性を高める効果がありました。

ガラシャ

それにしても領地を交換なんて初めてですね。どうして交換する事になったんですか?

憲三郎先生

織田信長が三好正勝に領地を給付したところ、三好勝正から少し近いところが良いという希望があり、新しい領地は伊丹親興の領地と近かったため交換することとなったようです。

ガラシャ

なるほど。領地に関して多少の希望が通ったというのはちょっと意外でした。

憲三郎先生

ここまでが元亀2年の前半です。

ガラシャ

すでに盛りだくさんでした。光秀はまだ幕府の奉公衆として働いていますね。

憲三郎先生

後半はもっと密度が濃くなりますよ。

ガラシャ

頑張ってお勉強します!

”元亀2年、前半の光秀は幕府奉公衆として頑張っていました。”