第46話 元亀2年に起きた出来事~後編・光秀の転職時期~

ガラシャ

元亀2年後半7月からですね!

憲三郎先生

後半の6ヶ月は出来事が多いので少しずつ進めていきましょう。

ガラシャ

頑張ってついて行きます!

ガラシャ

あら、トンボ帰りですね。

ガラシャ

足利義昭あての伝令とはどんな内容だったのですか?

憲三郎先生

曇華院(ドンゲイン)が所有する領地の年貢に対して幕府が不法行為をしているように見えて外聞が悪いので、足利義昭にお伝えして対処していただくように。という内容でした。

ガラシャ

ドンゲインって変わった名前ですが、どういうものですか?

憲三郎先生

京都の西、嵐山の付近にある尼寺です。将軍家の息女、天皇家の皇女が入寺していたようです。

ガラシャ

随分格式の高いお寺なんですね!
ところで、「ドンゲ」とは何ですか?

憲三郎先生

曇華(ドンゲ)は優曇華(ウドンゲ)という花のことで、三千年に一度、仏が現れるときに咲くとされているものです。

ガラシャ

少し話が逸れてしまいましたが・・・、光秀の3日と4日のトンボ帰りはこの伝令と関係があるんですか?

憲三郎先生

史料には詳しくは残っていませんが、3日に宇佐山城に行き4日に京都に戻ったことを考えると3日に宇佐山城で伝令を受け取った可能性も捨てきれません。

ガラシャ

光秀の住居は京都ですよね?

憲三郎先生

光秀が宇佐山城を賜ったという史料はありません。

ガラシャ

では、やはり京都から通っていたんですか?

憲三郎先生

しかし、この前後の史料を見てみると宇佐山城に光秀を訪ねて行く人や、「帰城」という言葉を使っている文書があります。

ガラシャ

ということは、光秀は宇佐山城に引っ越していたんでしょうか?

憲三郎先生

賜っていたのか、城番や城代という形だったのか、それももっと史料が出てくればわかるかもしれませんね。

ガラシャ

新しい史料が出てくると良いですね。

ガラシャ

何で出陣の通達を観音寺にしたのですか?

憲三郎先生

この出陣で焼き討ちをする場所の近隣にあるので通達したものと思われます。

ガラシャ

観音寺はどこにあるのですか?

憲三郎先生

観音寺は今の滋賀県近江八幡市安土町にあります。この出陣で織田軍の拠点となる横山城は、滋賀県長浜市堀部町・石田町なので、横山城と観音寺の距離は30㎞くらいです。

ガラシャ

この通達はなにか大事な文書なのですか?

憲三郎先生

この出陣は実は比叡山延暦寺の焼き討ちつながる出陣なのですが、この文書の面白いところは織田信長のことを「殿様」と表記している所です。

ガラシャ

比叡山延暦寺!・・・あれ?でもまだ光秀は幕府の奉公衆ですよね?

憲三郎先生

この前後の文書が出てくれば光秀の転職時期やこの後の行動の理由について、もっと詳しく解明できるのではないかと思われます。

ガラシャ

転職時期はとても大事な事なので早く解明されて欲しいです。

ガラシャ

え!?8月2日の文書と相まってとても気になる文書ですが、足利義昭からはどんな指示が来ていたんでしょうか?

憲三郎先生

指示の内容はわかりません。この文書の対になる細川藤孝からの文書か足利義昭から細川藤孝宛ての文書が出てくればわかるかもしれません。

ガラシャ

まだまだ史料が足らないのですね。

憲三郎先生

そして8月18日に織田信長は通達通りに出陣し、横山城へ布陣します。

ガラシャ

光秀も一緒に出陣ですか?

憲三郎先生

織田信長と一緒に出陣したという史料はありません。

ガラシャ

あれ?

憲三郎先生

しかし、少し後に出てくる史料に光秀が焼き討ちに参加しているという事がわかる史料があるので、参加していたのは間違いありません。

ガラシャ

一緒に出陣したのか、途中で合流したのかわからないけど、後々一緒にいた事は確か。ということですね。

憲三郎先生

その通りです。さて次回はこの出陣の行程と比叡山延暦寺の焼き討ちです。

ガラシャ

ついに!楽しみです。

”この頃の史料がもっと出てくれば
光秀の詳しい転職時期がわかりそうです。”