第44話 ターニングポイントな年。元亀2年

ガラシャ

前回は第一次信長包囲網で仕方なく各方面と和睦をした織田信長のお話でした。

憲三郎先生

そうですね。

憲三郎先生

正確な日付はわかりませんが、長ければ和睦の前までは連絡係をしていたと思われます。

ガラシャ

和睦の後は何をしていたんですか?

憲三郎先生

和睦の後は近江の宇佐山城に移り城の修繕をしていました。

ガラシャ

宇佐山城!たしか、森蘭丸・・・じゃなくて森乱丸のお父さんが奮闘して守ったお城ですよね?

憲三郎先生

そうですね。森可成(もりよしなり)です。

ガラシャ

12月13日の和睦以降だともう年が明けちゃいそうですね。

憲三郎先生

1月21日に吉田兼右が光秀を訪ねて宇佐山城へ訪問し宿泊したことが史料に残っています。吉田兼右は、吉田兼見の父親ですね。

ガラシャ

京都からは少し遠いのにわざわざ泊りがけで、どんな御用事だったんでしょう?

憲三郎先生

史料には見舞いとありますが、この日の前1月6日に吉田兼見のところへ光秀からの使者が来ています。

ガラシャ

光秀から呼ばれたのでしょうか?

ガラシャ

これは・・・この3つは関係がありそうですね。

憲三郎先生

光秀が呼んだのか、宇佐山城に移ったのを知ったからなのかはわかりませんが、様子を見に行って人手を依頼され派遣したという流れが自然な解釈のように思います。

ガラシャ

それにしても、光秀と吉田兼見の仲の良さが端々に感じられますね。

憲三郎先生

そうですね。この関係の深さであればきっと何か史料があってもおかしくないので、まだ出てきていない史料の発見を期待しています。

ガラシャ

ところで、光秀はこのお正月は家族のもとには帰れていないんですね。

憲三郎先生

そういうことになりますね。

ガラシャ

吉田兼見の送ってくれた人員で少しでも光秀が家に帰える時間が早まったと思うとありがたいです。

憲三郎先生

そうですね。

ガラシャ

この後はどうなっていくのですか?

憲三郎先生

この年は、この後、光秀は比叡山の焼き討ちと、義昭の元を離れ織田信長の家臣になっていくことになります。

ガラシャ

この年は光秀にとって、とてもターニングポイントになる年ですね。

憲三郎先生

その分少し難しいところなので次回以降ゆっくり勉強していきましょう。

ガラシャ

はい、よろしくお願いします。

”元亀2年(1570年)は比叡山焼き討ちに転職と、
光秀にとって重要な年になりそうです。”