第141話 決戦の日

ついにこの日が来てしまったのですね・・・。

天正10年6月13日この日に山崎の合戦と呼ばれる光秀と羽柴秀吉の戦いがあったと言われています。

お話しを聞くのが怖くなってきました・・・。

この日があって今がありますから、歴史の学ぶのは大切ですよ。

そうですね・・・詳しく教えてください。

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

よろしくお願いします。

早天・・・早い時間のことですね。ということは昨日の摂津での衝突の事でしょうか。

羽柴秀吉軍は明日14日に摂津から山崎に来るのですね・・・。

西陣?敵か味方かわからない雰囲気ですね・・・。援軍だと信じたいですが・・・。

そして事態はまた大きく変化します。

え!?そんな急にですか?

でも羽柴秀吉が摂津から動くのは明日ではないのですか?

他にも光秀敗退の情報を聞いた人が居ます。

教えてください。

光秀が討ち取られた!?山崎?もう山崎に来ていたのですか?
もしかして昨日の先陣ともう1回戦ったのですか?

山科言経の残した史料にもう少し詳しいことが残っています。

京都の公家の山科言経ですね。

やっぱり戦ったのは山崎なのですね。

織田信孝・羽柴秀吉ら、南方より進軍し明智軍と合戦しました。二条屋敷は放火され、討死にした明智軍の首は本能寺に曝されました。

織田信孝・羽柴秀吉もいたって事は本陣ですよね?筒井順慶に来た「14日に陣替え」という書状はなんだったのですか?

詳しいことはわかりません。もしかしたら、あえて筒井順慶には違う情報を流したのかもしれません。

もともと光秀方だったから信用していなかったのでしょうか?

羽柴秀吉は情報戦に長けていたようなので、色々な可能性を考慮した上で錯乱を狙ったのかもしれませんね。

それにしても即時敗北って・・・いったいどんな状況だったのですか?

後に書かれた史料で状況が詳しくわかりそうな史料があります。

そんな史料が!?討死した明智軍という書き方も気になります。光秀も討死したのでしょうか?

続きは次回です。

気になります!
