第141話 決戦の日

ガラシャ

ついにこの日が来てしまったのですね・・・。

憲三郎先生

天正10年6月13日この日に山崎の合戦と呼ばれる光秀と羽柴秀吉の戦いがあったと言われています。

ガラシャ

お話しを聞くのが怖くなってきました・・・。

憲三郎先生

この日があって今がありますから、歴史の学ぶのは大切ですよ。

ガラシャ

そうですね・・・詳しく教えてください。

憲三郎先生

では、今回も史料を順に見ていきましょう。

ガラシャ

よろしくお願いします。

ガラシャ

早天・・・早い時間のことですね。ということは昨日の摂津での衝突の事でしょうか。

ガラシャ

羽柴秀吉軍は明日14日に摂津から山崎に来るのですね・・・。

ガラシャ

西陣?敵か味方かわからない雰囲気ですね・・・。援軍だと信じたいですが・・・。

憲三郎先生

そして事態はまた大きく変化します。

ガラシャ

え!?そんな急にですか?

ガラシャ

でも羽柴秀吉が摂津から動くのは明日ではないのですか?

憲三郎先生

他にも光秀敗退の情報を聞いた人が居ます。

ガラシャ

教えてください。

ガラシャ

光秀が討ち取られた!?山崎?もう山崎に来ていたのですか?
もしかして昨日の先陣ともう1回戦ったのですか? 

憲三郎先生

山科言経の残した史料にもう少し詳しいことが残っています。

ガラシャ

京都の公家の山科言経ですね。

ガラシャ

やっぱり戦ったのは山崎なのですね。

憲三郎先生

織田信孝・羽柴秀吉ら、南方より進軍し明智軍と合戦しました。二条屋敷は放火され、討死にした明智軍の首は本能寺に曝されました。

ガラシャ

織田信孝・羽柴秀吉もいたって事は本陣ですよね?筒井順慶に来た「14日に陣替え」という書状はなんだったのですか?

憲三郎先生

詳しいことはわかりません。もしかしたら、あえて筒井順慶には違う情報を流したのかもしれません。

ガラシャ

もともと光秀方だったから信用していなかったのでしょうか?

憲三郎先生

羽柴秀吉は情報戦に長けていたようなので、色々な可能性を考慮した上で錯乱を狙ったのかもしれませんね。

ガラシャ

それにしても即時敗北って・・・いったいどんな状況だったのですか?

憲三郎先生

後に書かれた史料で状況が詳しくわかりそうな史料があります。

ガラシャ

そんな史料が!?討死した明智軍という書き方も気になります。光秀も討死したのでしょうか?

憲三郎先生

続きは次回です。

ガラシャ

気になります!

”光秀は山崎で羽柴秀吉軍と合戦し敗退したようです。”