第101話 京都馬揃え
左義長を終えた光秀に織田信長から新しいお仕事が来たのですか?
そうです。京都での馬揃えですね。
馬揃えってなんですか?
馬揃えは、騎馬を集めてその優劣を競いあう武家の行事1つで、軍事行進としての色彩もあるようです。
軍事行進・・・。仰々しいですね。
織田信長が行なった馬揃えはこれが初めてではありません。
・・・あ、左義長ですか?
馬揃えという行事の発案者は織田信長なのですか?
いいえ、1184年に源義経が駿河国浮島原で馬揃えを行ったとされているので、古くからある行事のようですね。
光秀は安土に引き続き京都での馬揃えの奉行を任されると言うことなのですね。
安土での左義長の結果が良かったので任されたようです。
詳しく教えてください。
では、今回も史料を順に見ていきましょう。
よろしくお願いします。
命じられて2日後には国中に通達・・・仕事が早いですね。
どうして不参加の希望を出したのか気になりますね・・・。
情景を想像するとなんだかほっこりしますね。
馬揃えに参加するための到来でしょうか。
吉田兼見はいつもどこかに飛び回っているイメージです。
名だたる面々ですね。言葉の壁は無かったのでしょうか?
ルイス・フロイスが通訳だったようです。
どんなお話しをしたのか気になりますね。
織田信長は彼らを京都の馬揃えにも招待したようです。
好待遇ですね。
そして一行は、この後3月から7月頃まで安土に滞在し交流を続けている記録が残っています。
織田信長が西洋文化にとても興味があったことが伺えますね。
2月28日に京都にて馬揃えが行われました。「信長公記」にこの馬揃えの様子が細かく残っています。
光秀も参加したのですよね?
光秀は大和・上山城衆を従えて行進しました。
どんな様子だったのですか?
史料には天皇もご覧になり、「このようなおもしろい催しを見ることができ、大変嬉しく思う」というお言葉をいただき、たいへん名誉だった。とあります。
すごいですね。
宮中からの要望で、3月5日に再び騎馬行進をしました。
光秀が奉行したお仕事が大成功で良かったです。
名馬500騎を厳選しての行進だったようですが、大変喜ばれたそうです。
この後光秀はどんなことをするのですか?
光秀は天正9年4月に福知山にいました。
福知山は丹波ですよね?福知山でなにをしていたのですか?
続きは次回です。
気になります!