第60話 北伊勢の平定と山本対馬守との決着

ガラシャ

前回は光秀が越前で内政に奮闘していたのですが、次はどんな展開が待っているのでしょう?

憲三郎先生

では、順に見ていきましょう。

ガラシャ

はい。

憲三郎先生

天正元年9月24日に織田信長は、北伊勢を平定するために出陣します。そして、その日は大柿城に泊まりました。

ガラシャ

大柿城ってどこですか?

憲三郎先生

大柿城は今の大垣城のことで、岐阜県大垣市郭町にあります。現在も再建されていてその姿を見ることができます。

ガラシャ

誰と一緒に行ったのですか?

憲三郎先生

史料に名前が上がっているのは佐久間信盛、羽柴秀吉、蜂屋頼隆、丹羽長秀、柴田勝家、滝川一益ですが、そのほかにも近江勢と呼ばれる近江に駐在している織田軍の武将を連れていたようです。

ガラシャ

良く名前を見る人ばかりです。

憲三郎先生

9月25日に織田信長は、小稲葉山にある大田城に陣を張りました。

ガラシャ

大田城はどの辺りにあるのですか?

憲三郎先生

大田城は今の太田城のことで、三重県津市安濃町太田にあります。今も城跡が残っています。

ガラシャ

誰のお城ですか?

憲三郎先生

史料が無く、くわしいことがわかりませんが、北畠家家臣の平松家の居城だったようです。

ガラシャ

伊勢平定の時に出てきた北畠家ですね!

憲三郎先生

そうです。そして同日、光秀は越前国衆の野村七兵衛尉へ戦傷の見舞いを送っています。

ガラシャ

光秀はまだ越前にいたのですね。

憲三郎先生

9月26日に織田軍は桑名方面へ出陣し、二手に分かれます。

ガラシャ

どのように分かれたのですか?

憲三郎先生

西別所に立て籠もる一揆勢を佐久間信盛・羽柴秀吉・蜂屋頼隆・丹羽長秀が攻撃し、桑名郡にある坂井城の片岡家を柴田勝家・滝川一益が攻めます。

ガラシャ

戦況はいかがですか?

憲三郎先生

西別所の一揆勢は打ち破り、片岡家は包囲しました。

ガラシャ

順調そうですね。

ガラシャ

あれ、安堵状?ということは越前の内政ですよね?光秀はどこに行ったのですか?

憲三郎先生

光秀は静原山に向かっていたと思われます。

ガラシャ

確か静原山城は山本対馬守が立て籠もっていたのですよね?

憲三郎先生

そうですね。そちらを包囲していた軍勢に合流したと思われます。

ガラシャ

なるほど。

憲三郎先生

10月6日に柴田勝家・滝川一益が包囲していた片岡家は降参し退城しました。柴田勝家、滝川一益はその後桑名郡深谷部にある北狭間城の近藤家も降参させました。

ガラシャ

ますます順調そうです。

ガラシャ

元は光秀の家臣だったので、なんだか感慨深いです。

憲三郎先生

そして同日、北伊勢出陣中の織田信長は、東別所へ陣を進めます。これによって近隣の武将達は次々に人質を出し、織田信長の配下になりました。

ガラシャ

降参してくれると、ちょっとホッとします。

ガラシャ

山本対馬守の件ですね。

憲三郎先生

そうですね。合力とあるので、山本対馬守の件では革嶋秀存が大きな貢献をしたようです。そして詳しい日時はわかりませんが、東別所に在駐の織田信長の元へ光秀が訪れ、山本対馬守の首を進上しました。

ガラシャ

光秀は静原山から北伊勢まで持って来たのですね・・・。

憲三郎先生

その後、織田軍は矢田城を強化し滝川一益を入城させました。

ガラシャ

今回はとても順調でしたね。

憲三郎先生

10月25日に織田信長は北伊勢を撤収しましたが、これを河内長島の軍勢が追撃します。

ガラシャ

このタイミングで!?

憲三郎先生

道中道も狭く雨も降ってきたようで、大変苦戦し殿を務めた林新次郎らが討死し、下々の人足達には凍死者も出たようです。

ガラシャ

なんてことでしょう・・・。

憲三郎先生

織田信長はなんとか夜になって大柿城に到着、10月26日に岐阜へ帰還しました。

ガラシャ

なんだか物語のようなどんでん返しです。

憲三郎先生

大楽勝にみえたのに、急転直下の大敗北ですね。

ガラシャ

この後はどうなるのですか?

憲三郎先生

それは次回のお楽しみと言うことで。

ガラシャ

気になります。

”光秀は飛び回り、織田信長は最後に大苦戦です。”