第54話 武田信玄という存在

徳川家康が武田信玄にやられちゃったって。・・・なにがあったんですか?

ではこの戦について経緯を説明しましょう。

お願いします。

元亀3年10月3日に武田信玄は甲府を出陣します。

どうして武田信玄は出陣したんですか?

足利義昭からの信長討伐令が出たからという説もあるようですが、この出陣の後だったという説もあるようです。

ここでその後の、京都の大事件とつながりが出てくるんですね。

足利義昭が当てにしていた可能性は大いにありますね。

ところで、甲府って今でもよく聞きますがどのあたりですか?

甲府とは、今の山梨県です。

武田信玄はどこに向かって出陣したのですか?

武田信玄は徳川家康の領地に向かって出陣するのですが、まず、浅井・朝倉軍に織田軍の引きつけを依頼します。

それで11月3日の虎御前山城攻めですか!?仲が良かったんですか?

籠城しているだけでも十分な引きつけになりますので、その攻撃に直結しているかは定かではありませんが、敵の敵は味方ということですね。反信長で連合していた勢力なので、信長包囲網ともいわれています。

手強そうです。

武田軍はまず二手に分かれます。一方は三河に向かい、一方は遠江へ向かいます。

三河・遠江ってどの辺りですか?

三河は現在の愛知県東半部、遠江は現在の静岡県です。

遠江って普段読まない読み方ですね。

江というのは湖のことなのです。京都から見て、近くの湖は琵琶湖ということで近江、遠くの湖は浜名湖ということで遠江なのですよ。

地名の由来ってとても面白いですね!!・・ところでどちらが徳川家康の領地なのですか?

三河と遠江はどちらも徳川領です。

え!そしたら戦力も二分しちゃいますよね?武田信玄って強いのですよね?

そうです。ですので徳川家康は織田信長に援軍を依頼しました。しかし、織田軍も浅井・朝倉軍との戦があるので派遣できたのは佐久間信盛、平手汎秀、水野信元の軍勢だけでした。

佐久間信盛以外は・・・あまり名前の聞かない武将ですね・・・。

主力は浅井・朝倉軍に割かれていましたので、しかたが無かったのだと思われます。

なんだか、武田信玄の作戦どおりという感じですね。


徳川家康は無事ですか?

徳川家康はなんとか逃げのび、浜松城に立て籠もります。

良かったです。

武田軍はさらに西、三河に進軍します。

このままだとあっという間に京都まで進軍しそうですね。

武田軍は野田城そして岩村城を攻略しますが、武田信玄は病に倒れてしまいます。

え!?

武田信玄は長篠城で療養するも4月初旬に甲斐に撤退します。外部には秘匿されていてその後しばらく誰にも知らされる事はありませんが、実はこの移動の途中で武田信玄は病気で亡くなってしまいます。

・・・なんということでしょう。

ですが、徳川家康は領土を取られることなく助かりました。そしてタイミング的に織田信長も助かったのです。

どういうことですか?

それは、追い追いわかると思います。

・・・とっても気になります。
