第39話 宇佐山の戦い
前回は、織田信長と足利義昭が合流して三好勢を攻めていたら朝倉・浅井軍が近江に出陣してきた!というところでしたね?
そうです。近江では織田軍の森可成が、宇佐山城から打って出て、朝倉・浅井軍に応戦しますが討ち死にしてしまいます。
宇佐山城ってどの辺ですか?
宇佐山城は今の滋賀県大津市南滋賀町にあった山城で今も城跡が残っています。
三好勢に朝倉・浅井軍に挟まれて織田信長と足利義昭はどうしてたんですか?
近江の織田軍を破った朝倉・浅井軍が、京都に迫っているという知らせを聞いた織田信長は、摂津から京都に慌てて戻りました。この時に光秀は少し先だけ先に京都に戻っています。
一緒にではないんですね。
山科言継の日記には、9月21日に足利義昭の御所を守るために光秀が村井貞勝や柴田勝家と共に上洛したと書かれています。
幕府軍として御所を守るためにいち早く戻ってきたんですね。
そして9月23日、摂津の陣を引き払った織田信長・足利義昭が上洛しました。
翌日、織田信長は朝倉・浅井勢に向けて進軍を開始しました。
このスケジュールを見ているととても余裕がなく感じます。
そうですね。近江の宇佐山城が破られたことがやはり大きかったのかもしれません。
森可成ですよね。なんとなく気になるのですが・・・。
森可成は尾張国に生まれ、美濃国の守護大名である土岐氏に仕え、斎藤道三により土岐氏が滅ぼされた後の天文23年(1554年)には尾張国で織田信長に仕えたそうです。息子には森乱丸の名で有名な森成利がいますが、蘭丸というのは創作で乱丸が正解です。そして森成利(乱丸)の兄弟には森長隆(坊丸)・森長氏(力丸)がいます。
森乱丸のお父さん!たしか本能寺にいた三兄弟で乱丸・坊丸・力丸ですよね?なにかで見た気がします。・・・でも、本当の名前は全然違うんですね。
そうですね、この頃の史料を見てみるといくつも呼び名があることが多く、よくよく解読しないと誤訳してしまうこともしばしばです。
史料解析は重要ですね。
森成利の兄弟のも名前がわかっているだけでも女性も含め8人居たようです。
たくさん居たんですね!確かにこの時代にしては3兄弟では少ないですね。
「乱丸」は文書では「乱」あるいは「乱法師」という名が用いられていて「蘭」という字は後生の人のきらびやかなイメージで変化していってしまったようです。
肖像画で判断するのもいけない気がしますが、とても強そうです。もっと華奢な少年をイメージしていました。創作ではそういったイメージが多いのかもしれませんね。
実際の小姓は護衛もできないと務まりませんので、屈強な人が多かったようです。
なるほど、現実は小説よりなんとやらという感じです。朝倉・浅井軍に向けて進軍した織田信長はその後はどうなったんでしょう?
朝倉・浅井勢は迫り来る織田軍の旗印を見るや形勢不利と見て比叡山延暦寺に逃げ上がり陣を張りました。
有名な比叡山がついに登場ですね!・・・でもどうして朝倉・浅井軍は比叡山に逃げ込んだんですか?
それは次回にしましょう。
楽しみです。