第38話 野田・福島の戦い2
8月20日に岐阜を出た織田信長、そして光秀は京都で待機ですね。
そうです。織田信長は野田・福島にたてこもる三好勢と戦うために8月26日に天王寺に陣を張ります。
天王寺・・・お寺ですか?
いいえ、平安時代の頃は四天王寺の略称だったようですが、南北朝時代以降は地名となっています。なので戦国時代のこの頃も地名としての天王寺だった可能性があります。場所は今の大阪府大阪市天王寺区南部あたりです。
なるほど。織田信長はこれから攻め込むのでしょうか?
まずは敵を包囲します。信長は調略により、三好方の三好政勝・香西越後守の2人を味方に引き入れたようです。
たしか、前回出てきた敵の武将のうちの2人ですよね?
そうです。三好勢も長慶という大きな柱を失って、一つにまとまりきらなかったのでしょう。
信長方となった三好政勝と香西越後守の2人は8月28日の夜中に天王寺に逃げてきました。
ところで、将軍の足利義昭はどうしてたんでしょうか?
9月3日には摂津中島の細川藤賢の城へ足利義昭が動座しました。
義昭が出陣したことにより、信長は幕府の正規軍となりました。
義昭の兄の義輝を三好勢に殺されたことに対する思いもあったのかもしれません。
細川藤賢ですか?細川藤孝ではなく?
いいえ、違います。細川藤孝は【淡路守家】で細川藤賢は【細川典厩家】同じ細川家ではありますが、違う分家で分かれたのは1400年代のことです。
すっごい遠い親戚ってことですか?
そうですね。細川藤賢の居城は堀城(通称中嶋城)で、今の大阪市淀川区辺りだと言われていますが確かな場所はわかっていません。
細川藤賢はいつ頃から足利義昭の家臣なんですか?
足利義昭が将軍になった頃からのようです。
足利義昭が登場したと言うことは、光秀も?
そうです。光秀もこの時足利義昭と共に摂津へ出陣していました。
織田軍と幕府軍の連合軍再びですね!
9月12日海老江という村で織田信長と足利義昭は合流します。今の大阪府大阪市福島区辺りです。
そして・・・
当初は信長軍が有利に戦いを進めていましたが、劣勢になった三好勢に本願寺勢が加勢し、かすがい堤での合戦となります。
なんと・・・ややこしくなってきました。
また、これに呼応して、朝倉・浅井軍が近江坂本まで出陣してきていました。
京都が危ない!?
続きは次回です。