第36話 姉川の戦い

ガラシャ

目の前には攻める要としていた横山城、背後には朝倉・浅井軍。光秀ピンチです!
光秀は織田信長と行動を共にしていたんですよね?このあとどうなるんですか?

憲三郎先生

姉川を挟んで朝倉・浅井軍とにらみ合うことになります。

ガラシャ

相手はどのくらいの人数が居たんですか?

憲三郎先生

史料には1万3千とあります。

ガラシャ

朝倉・浅井軍と対応しているという事は横山城の方はそのままなんでしょうか?

憲三郎先生

6月28日には姉川での戦いが始まっているので横山城へ割ける時間も余裕もなかったのかもしれません。

ガラシャ

余裕がないほどの戦いになったんですか?

憲三郎先生

とても激しい戦いになりました。それでもなんとか敵陣を崩すことがでました。

ガラシャ

ということは織田・徳川・幕府軍の勝利ですか?

憲三郎先生

いいえ、大将の首を取ってないので厳密にはここでは勝ち負けはまだ決まっていません。

ガラシャ

でも敵陣は崩れたんですよね?どうして崩れたんですか?

憲三郎先生

史料にはきっかけは載っていません。しかし、1100人余りの首を討ち取った。とあります。

ガラシャ

なるほど、そして朝倉・浅井軍は後退していったんですね。

憲三郎先生

ちなみに、覚えているでしょうか。討ち取った武将の中には黒坂備中守もいました。

ガラシャ

黒坂備中守!そうですよね。朝倉氏に仕えていたということは敵方にいたんですね。なんとも複雑な気分です。

憲三郎先生

そうですね。光秀もきっと思うところがあったのではないでしょうか。

ガラシャ

朝倉・浅井軍は体制を崩した、ということは撤退しているところですか?

憲三郎先生

そうです。織田信長は撤退する朝倉・浅井軍を小谷城まで追撃し、城下を焼きます。

ガラシャ

え?また?ほんの少し前に町を焼いたばかりですが・・・。町と城下って違うものなんですか?

憲三郎先生

城下町とは領主の居城を中心に成立した都市のことです。初期の城下町では領主の居城のみが堀と城壁に囲まれていました。史料では町と城下と書き分けられていること、数日前に町がすでに焼かれている事を考えると、この時の城下は領主の居城や家臣の屋敷などを指していたのかもしれません。

ガラシャ

町も城下も焼かれてしまって小谷城はこれで降参したんですか?

憲三郎先生

いいえ、山高く要塞ともいわれる小谷城は落とすことが大変困難で、織田軍一行は横山城にに引き返します。

ガラシャ

放っておかれていた横山城!

憲三郎先生

織田軍一行が横山城に向かうと降参し撤去したので木下藤吉郎を城番として入城させました。

ガラシャ

城番ってなんですか?

憲三郎先生

城番は城の守衛にあたる人のことを指します。取り返されては困りますからね。

ガラシャ

なるほど、織田信長はそのあとどうしたんですか?

憲三郎先生

磯野員昌立てこもってる佐和山の城へ進撃し、包囲しました。

ガラシャ

佐和山城ですか?

憲三郎先生

佐和山城は今の滋賀県彦根市佐和山町にあったお城で、畿内と東国を結ぶ要衝だったようです。いまも城跡が残っています。

ガラシャ

包囲しただけですか?

憲三郎先生

包囲して通路を遮断した状態で7月4日に足利義昭に報告のために上洛、そして光秀の家に寄ってから岐阜に帰還しました。

ガラシャ

光秀はいつの間に帰ってきたんですか?

憲三郎先生

光秀が近江へ出陣した史料はありますが、姉川の戦いに参戦した史料や帰還した史料はありません。しかし、7月4日に織田信長が光秀宅に寄った史料があるので、もしかしたら織田信長と一緒に帰還していたのかもしれません。

ガラシャ

なるほど、約2ヶ月ぶりの帰宅ですね。

”朝倉・浅井軍と姉川を挟んで戦いました。ひとまず優勢になったので報告しに引き上げてきました”