第34話 六角義賢、現る。
織田信長と共に京都を出発した光秀ですが、浅井長政の所に攻めに行くんですよね?
いいえ、まずは織田信長の居城の岐阜城に行きます。
どうして織田信長は直接浅井長政の所に行かず岐阜城に戻るのでしょう?
史料には「浅井攻めのため近江の要所を固めつつ岐阜に戻る」とあります。
要所ですか?
そうです。前回も少しお話しましたが、守山に稲葉一鉄らを派遣したように、街道や砦など大事な場所に人員を配備し守りを固めたのです。
どんな場所が要所だったんでしょう?
史料には志賀の城・宇佐山の砦には森可成を、永原には佐久間信盛を、長光寺には柴田勝家を、安土には中川重政を配備したことが書かれています。
なるほど、京都から琵琶湖の南西側から南東に向かって配置していったんですね。浅井長政の居城はたしか小谷城でしたよね?琵琶湖の北北東のあたり・・・。改めてみるとだいぶ距離がありそうです。
おそらく織田信長は足利義昭の居る山城に行く時に通る可能性がとても高い所を要所としたのかもしれません。
しかしここで浅井長政が動きます。
攻めてきたんですか!?
浅井長政は鯰江の城に軍勢を配置し、市原の一揆勢を扇動して帰路をさえぎる行動に出ました。
鯰江?市原?どの辺ですか?
鯰江城は今の滋賀県東近江市鯰江町にありました。今も城跡が残っています。市原は同じく滋賀県東近江市にあり鯰江城からは5~6㎞くらいです。
扇動ということは直接指示したというより、そう仕向けたという雰囲気ですね、、にしてもまた一揆。一揆ってそんなにいっぱいあるんですか?
一揆とは、何らかの理由により心を共にした共同体が心と行動を一つにして目的を達成しようとする武力行使を含む集団のことを指すのでたくさんの形があります。
たしかに歴史の授業でもたくさん出てきてなんだかよくわからなかった記憶があります。
このときの一揆がどんな集団だったかは史料にはありません。
それにしても浅井長政はとても南の方まで来ていたんですね。そんなに岐阜城に帰られると困るのでしょうか?
織田信長の本拠地ですからね。体制を立て直される前に、と思ったのかもしれません。
織田信長はどうするんですか?
織田信長は、日野の蒲生賢秀、布施の布施公保、甲津畑の管秀政の尽力により千草越えで帰ることしました。
険しそうな道なりですが、なんとか帰れそうで良かったです。
しかし織田信長は千草峠で杉谷善住坊という者に狙撃されてしまいます。
狙撃!?織田信長は無事ですか?
少し体をかすっただけで大丈夫だったそうで、5月21日に無事岐阜城に着きました。
良かったです。その杉谷善住坊って何者ですか?
坊とつくからに僧侶なのですが諸説あるようで何者かはよくわかっていません。史料には六角義賢の依頼で狙撃したとあります。
六角氏?上洛の時に攻め落とされていましたけど。生きていたんですね。
近江南部の甲賀郡に本拠を移し体制を整えていたようです。
浅井長政の裏切りに乗じたのでしょうか?杉谷善住坊は捕らえられたのですか?
この時は逃亡してしまいますが元亀4年9月10日に捕まり、尋問の後に処刑となります。
「フロイスの日本史」にも「ある仏僧が立ったまま生き埋めにされ小さなノコギリで首を切断された」と残っています。
・・・なかなかな処刑方法です。4年も逃げおおせたといって良いのかよく見つかったといって良いのか絶妙です。
戦国時代でも情報はとても色々な方法で駆け巡っていました。情報を制する物が戦を制するといっても過言では無いほどです。
たしかに。光秀も情報を手にするために美濃で隠れていた事がありましたね。
光秀は情報おかげでその時に仇討ちをすることができました。監視カメラも電話もインターネットも無い時代でも杉谷善住坊を捕らえたれたのはやはりすごいことです。
それを思うと本能寺の変後に生き残ったご先祖様達の生活というのはやはり大変に厳しい物だったのでしょうね。
そうですね。とても大変だった事でしょう。
ところで鉄砲って初めて出てきた気がしますが、もうあったんですね。
鉄砲伝来時期は諸説あり、その年代は1541年から1544年の間とされているようです。
遅くとも天文18年までに、種子島の本源寺から堺の顕本寺に鉄砲が届けられており、『言継卿記』の天文19年7月14日には、京の東山で行われた中尾城の戦いで、銃撃により三好側に戦死者が出たことが記されているようです。
意外なほど早くから使われていたんですね・・・。六角氏はこの後攻めてくるのでしょうか?
そのとおり。6月4日に六角義賢父子が一揆勢を扇動し野洲川方面へ軍勢を出します。
柴田勝家と佐久間信盛が出動し落窪の郷(今の滋賀県野州市)で合戦になり伊賀・甲賀の地侍を含む780人の首を討ち取りました。
永原と長光寺に配備されていた二人!配備していた甲斐がありましたね。
もしかしたら六角氏の動きも予測していたのかもしれませんね。
六角氏との戦いが終わったということはとうとう浅井長政の所へ行く頃でしょうか?
それは次回にいたしましょう。
楽しみです。