第33話 再び出陣します。
光秀が羽柴秀吉と池田勝正としんがりを務めて無事に京都に戻ってきた。というところでしたよね?
そうですね。若狭から人質もとりましたね。
光秀はいつ京都に帰ってきたんですか?
史料には「5月6日に針畑越えで帰京し」とあります。
この後はどうなるんですか?
浅井家が裏切ったことで同盟が崩れ、敵になってしまった浅井家を攻めに行きます。
いつから行くんですか?
永禄13年5月9日に織田信長は京都を発って浅井攻めに出陣します。
光秀が京都に帰ってきてからまだ3日間、織田信長だって9日しか経っていません
たった9日間ですが、出発までのこの間にもたくさんの事がありました。
たくさんのことですか?
まずは街道警固のために稲葉一鉄・稲葉貞通・稲葉彦六・斎藤利三を近江の守山町に派遣しました。しかしその頃、一揆勢が守山町の南部から焼き討ちを仕掛けてきて、稲葉勢は多くのものを討つ快挙を成し遂げました。
一揆はどこででも起きますね。稲葉の方は3人居ますが、親戚同士ですか?
稲葉一鉄の次男が稲葉貞通、稲葉貞通の長男が稲葉彦六です。
親子三世代でした!
ちなみに斎藤利三は稲葉一鉄の娘と婚姻を結びます。
ここも義父と婿なのですね。本当に婚姻で縁をつないでいたんですね。
そうですね。
だから余計に織田信長は浅井長政の裏切りを最初は信じなかったんですね。
そうかもしれません。
他にはなにをしていたんですか?
各武将からの人質をとりまとめて足利義昭に預け渡しました。
人質って言葉は怖いですが、どんな扱いを受けていたんでしょう?
戦国時代の人質は上下関係をはっきりさせるためのいわば保険のようなものです。人質として預かった人はとても大事に扱われました。衣食住はもちろん学問なども身につける事ができたようです。
大事にされていたようで安心しました。
このときも京を離れる織田信長は足利義昭に預け渡しています。
なるほど、たしかに足利義昭の近くが一番安全そうです。
さぁ、そうして短期間で準備を整え出陣です。
織田信長は5月9日に出陣ですよね?光秀はどうしていたんですか?
織田信長が出発した日に、光秀も出陣する旨を足利義昭の側近の曾我助乗に伝えています。
光秀も織田軍と一緒に出陣したんですね!
そのとおりです。この戦は越前を攻める戦の続きなので、再出陣も奉公衆と織田軍の連合軍で編成されていました。