第23話 幕府奉公衆ってなに?どんな仕事?

ガラシャ

幕府のお話が出てきました。幕府は武将をまとめる機関という事でしたが、奉公衆はどんな組織だったんですか?

憲三郎先生

室町幕府の奉公衆と呼ばれる人々は将軍の直轄軍です。一番衆から五番衆という5つに分かれていていました。また役職のように「御供衆・五番衆・外様・奉行衆」などがあります。

ガラシャ

光秀はまずは足軽衆だったんですよね?

憲三郎先生

「御供衆・五番衆・外様・奉行衆」をまとめて御家人といいますが、その一段下の身分に「御末衆・走衆」などがあります。「御末衆・走衆」と同様に足軽衆も御家人の一段下の身分だったと考えられます。他にも御詰衆や申次衆などもあったようです。

ガラシャ

細川藤孝はどんな役職だったんですか?

憲三郎先生

細川藤孝は一番衆の番頭で役職は御供衆でした。ちなみに曽我助乗も一番衆です。史料には「番頭は御供衆から選ばれたか番頭は御供衆に加えられたかのいずれかであろう」とあります。

ガラシャ

光秀のひいおじいさんは何番衆だったんですか?

憲三郎先生

番衆は氏ごとに一定しているのですが、土岐明智家は四番衆でした。ちなみに土岐石谷家も四番衆です。
氏ごとに番衆が一定だったので番ごとに強い連帯感がありました。6日づつ交代で将軍の居るお屋敷に出勤し番をしていました。

ガラシャ

石谷家は道三と最後に戦った時にたしか一緒に戦いましたよね!

憲三郎先生

そうですね。もちろん例外もありますが土岐氏は四番衆に多いようでした。

ガラシャ

奉公衆はたしか正社員ですよね?光秀のひいおじいさんも領地を持っていたということですか?

憲三郎先生

そうですね。史料には奉公衆は一般的に洛中に屋敷地を給与されとありますのでわずかでも領地が与えられたと思われます。

ガラシャ

奉公衆にというのはすごく管理されていたんですね。

憲三郎先生

今でいう国のお役人と考えたら近いかもしれません。番帳という奉公衆の一覧が年代別にいくつか残っています。しかしこの番衆の制度も足利義材の没以降幕府の権力の衰退とともにだんだん見られなくなっていきました。

”奉公衆はとても組織化されていてたくさんの役職があった”